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姉と親の大変さはちょっと違う。

“ダディは一人っ子だから、弟の面倒を見る大変さがわからないんだよー!!”

3歳息子を寝かしつけるために、小3娘が6冊も本を読んでくれた。ところが、読み終わって、さぁ、寝ようというタイミングで起き上がって動き始める息子くん。さっき、まで、あんなにとろんと、今にも寝そうだったのに…!!「もうやだー!最初は3冊ねって言ってたのに、6冊も読んであげたんだよ!!なのに寝ないなんて、、、もう知らない!!私は寝るから。」案の定、イライラする娘に「親の気持ちになってくれてありがとう」と夫が声をかけた。夫としては労いの言葉だったのだろう。

だが、しかし…!返ってきたのが冒頭の言葉であった。なるほど。3人姉弟の長女だった私は、妙に納得してしまった。弟を二人面倒見るのと、子ども二人を面倒見るのは、確かに大変さの種類が違うのだ。どっちが、大変かとかではなく、単に別のしんどさなんだよね。

親には子どもたちへの責任がある。最終責任を取るのは私だ。という重圧は常に付き纏っているように思う。もちろん、子どもたちはそれぞれ、別の人格を持っているので、私が与える影響なんて、そのうち吹っ飛ばしていくのだろうけど、まだ自分一人の力で生きていくのが難しい間は、二人の命はやっぱり親が守っていくものだと私は感じていて、だから、いくら娘が息子の面倒を見てくれていようと、最終責任は親にあるのである。

一方で姉の立場にそこまでの責任はない。ないのだけど、姉自身としてはやっぱりその責任を担おうとする。でも、自分自身もまた、親から生まれた子どもの一人だし、だから、自分だって面倒を見て欲しい。とはいえ、親が大変なのもわかるから、もしくは、いい子に見られたいから、もちろん弟が可愛いから、と、いろんな理由で一生懸命面倒を見る。面倒を見てると、自分も面倒見てもらいたくなってくるし、責任は無いはずなのに責任を負おうとしてしまいがちだし、でも責任を取りきれず、至らない自分にモヤモヤするし。。。その葛藤はやはり、親とはまた、違うものな気がする、たぶん。

まぁ、結局、私と娘も違う人間だし、私の弟と息子も違う人間だから、「弟の面倒を見る姉」とひとくくりにはできないのだろうけど。だから、私も娘の大変さがわかるのかは、自分でも自信がない。でも、親の大変さと姉の大変さは別物、という考えには、妙に納得してしまったのであった。ちゃん、ちゃん!


3-5年後に家族で世界に飛び出します、たぶん◎