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無邪気な表現を追求する

色々と心揺さぶられることがあって、ぐわーってなってたら、つまんない文章しか書けなくて、怒りを露わにしたりとか、しょんぼり落ち込んだりとか、そういことを外に向けて吐き出すことで、同情を誘おうとしている自分を嫌いになりそうな夜。

書いては消し、書いては消し、を繰り返して、たぶん5000字分くらい吐き出して、ようやく落ち着いたので、残せる文章になってきている気がする。(たぶん。)

なんというか、絵でも文章でも、心が激しく揺れ動いている渦中に表現してしまうと、弱い自分を隠そうと必死で強がったり、逆に弱い自分を曝け出して、誰かに慰めてもらおうとしたり、保身の心が大きくなってしまって、邪気を帯びてしまう気がする。

そういうものは作品として残したくないのだ。書いている最中に意図せず邪気払いしてたり、過去の重荷から解き放たれることはあるけど、浄化を目的として、それを狙って描いたら、なんかつまらない表現になってしまうというか、自分がつまらなくなってくるから、素直な表現が生まれない。

いや、自分が納得のいくものなんて、一生描けないし、書けないんだろうけど、そうは言っても「外に出せる作品かどうか」みたいな基準点が自分の中でやんわりとあって、その時、自分ができる最大限の“無邪気”な状態で表現しているか?みたいなのが、私の中ではとても大事というか、唯一、大切にしている軸なのかも知れない。無邪気な状態の判断レベル?みたいなのも、時の流れとともに変わるから、過去の表現は黒歴史でもあるんだけど笑

無邪気だからと言って、明るい部分だけを出すのではなく、影の部分も黒い部分も丸ごと、軽やかに、曝け出す。この塩梅が難しくて、書いては消し、描いては色を重ね、なんなら投稿したり、展示会に出したりした後にも修正したりして、時間をかけて無邪気な部分を抽出するのが、私の追求したい表現なのかも知れない。

たぶんね!!笑

3-5年後に家族で世界に飛び出します、たぶん◎