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Adoさんの『うっせぇわ』のいびつさと可愛さ


一度耳にすると離れない。どこかでひんやり流れているだけでも、ついリズムをとってしまう。たまにそんな歌が世の中に出回ることがある。

今話題のAdoさんの『うっせぇわ』の衝撃はじわじわとやってきた。

最初の接点は『うっせぇわ』という一言

『うっせぇわ』を最初に聴いたのは、夕方の報道番組だ。「ながら族」なので、別の事をしていても部屋にいればテレビはほぼ付けっぱなし・・・そんな状態で突然流れてきた。

初老を越えている自分が、最初の最初に思ったのは

口悪いなぁ。

だった。

「え、そこ?」と思われるかもしれないが、ニュース番組で細切れに流された情報では、女の子の声での「うっせぇ」と、その前の「ハァ~?」が、音楽としてではなく言葉としてインパクトがあったのだ。

その後は立て続けにさまざまな情報番組で『うっせぇわ』を、部分的に聴くことになる。

そう、本当に見事に部分的に・・・。

歌い手のリアルと、歌詞のノンリアル

『うっせぇわ』を歌っているAdoさんは、2002年生まれのまだ十代の女の子だという。まさに青春真っただ中。「うっせぇわ」と叫びたいことは多々あると想像する。

でも、聴けば聴くほど・・・歌詞を知れば知るほど、第一印象とはまったく違う違和感が募ってくる。

酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい
皆がつまみ易いように串外しなさい
会計や注文は先陣を切る 『うっせぇわ』

この歌の主人公は社会人になったばかりだろうか。Adoさんは高校生だけど、もしかしたらバイト先で言われることもあるかもしれない。

いずれにしても、若い女の子が、社会の理不尽さを伝えるには違和感を覚えるフレーズだ。なんかアンバランスだな・・・と感じ、逆にちょっと可愛く思えてしまった。

自分が言うことも、言われることが無いからか。リアリティが無い。もちろん、まだ女性が・若者がと、こういった給仕を「マナーだ」と年長者が言い切る組織もあるだろうが、自分の環境ではセクハラ・パワハラ案件だ。

でも、同じセクハラ・パワハラ案件なら、もうちょっと女性がイヤそうなことを並べたくならないだろうか。この3つはどれも、男性社員も同じように「マナーだ」と言い切られる可能性が高い。

いや、むしろ男性のほうが言われそう・・・。

話は逸れるが、自分の若い頃を思い出すなら、「酌」はまぁこのままとして、残りの2つは何にするだろうか。

「部長・社長・会長の隣に座りなさい」
「何でも笑顔で相槌打ちなさい」

・・・2つ目は言われたことはないけれど、その場を丸くしておくために、無愛想の自分が周囲にした忖度と言える。だめだ、自分の想像力はこの程度だ。

結局、このアンバランスな違和感は、作詞者が年齢非公表の男性(20代?)だと知って解決した。

チェッカーズ『ギザギザハートの子守唄』との比較

歌詞を読んで初めて、『うっせぇわ』がチェッカーズ(1983年デビュー。バンドでありながらアイドルに分類される珍しいグループ。リードボーカルは藤井フミヤ氏)の『ギザギザハートの子守唄』のオマージュであることを知った(オマージュかどうかは単なる想像だが、「似ている」というのはTwitter上ではすぐに話題になったらしい。情報番組では、この部分はあまり流れない)。

『ギザギザハートの子守唄』はチェッカーズのデビュー曲で、芸能界に疎かった自分でも、歌番組に出ている彼らの記憶がある。当時はなぜか「ツッパリ」という、「ちょい悪」の少し上を行く人たち(・・・から、本当のワルい人たちまで)が人気だった。

例えば、今なら間違いなく動物虐待と言われるであろう、一世風靡した猫のキャラクター「なめ猫」が登場したのは1980年代の初め。そして近年実写化された『今日から俺は!!』、芸能人が好きな漫画に上げることも多い『ろくでなしBLUS』は1988年に連載開始と、当時のツッパリ人気は文化的にも多大な影響を及ぼしていた。

それこそ本当の優等生で、チキンハートであった自分にとっては、「ツッパリのどこが良いのかわからない」状態だったのだが、チェッカーズは少し違った(因みに先に上げた漫画は弟が買っていたので全巻読んでいる。ギャグマンガと恋愛&スポコン漫画として脳内分類)。

自称「模範人間」で「ちっちゃな頃から優等生」な『うっせぇわ』と違い、「15で不良」で「触るものみな傷つけた」らしいのに、チェッカーズは明るくて、楽しそうなのである。

そして「わかってくれとは言わない」とちょっとスネながら「そんなに俺が悪いの?」と問いかけてくる・・・当時のファンは、可愛いチェックの衣装に身を包んだ彼らが歌う『ギザギザハートの子守唄』を素直にフィクションとして受け入れつつ、わかってもらえない、でもわかって欲しいという思春期らしい悩みに共感していたのではないだろうか。

それに比べて『うっせぇわ』は自己陶酔感がすごい。すべてを貯め込んで、我慢して、根拠のない自信を吐き出して、上から人を見下ろしている。

それでもアクションは内向きで、決して人を傷つけることなく、大声で「うっせぇ」と歌うようにどなっているだけ。

「あなたが思うより健康」というフレーズも、逆に「ちょっと不安定に見えるのだろう」と想像できる。それはツッパリのそれではもちろんなく。

けれど、『ギザギザハートの子守唄』のような迷いはなくて、むしろおかしいのはあなたたち・・・と口撃する。そして次第に止まれなくなり、サディスティックに・・・遂には、自分を現代の代弁者だと言い放ち開き直る(でも言っているだけ感がとても強い)。

「お前の母ちゃん、でべそ!」と同等の幼稚さ

このまま、不安定でなんとなく危ない方に行ってしまうのかなと思いつつ、「顔面にバツ」というなんとも幼稚な・・・「お前の母ちゃん、でべそ」と同じぐらいの、悪口になっていない悪口を吐き捨てる。

ここまでくると、PVのアニメーションのイメージと歌詞が完全に同化して、本当に漫画みたいだな・・・と思う。

自分は大分前の女子高生で、時代が違うので解釈は間違っているかもしれないが、(当時)「女子高生とは思えない歌唱力」、そして話題だという一攫千金的な憧れ、耳に残る「うっせぇわ」のインパクト(そこだけなら誰でも歌える)がウケていることが一番の理由ではないだろうか。

共感しなくても「好き」「イイネ」と思う女子高生が多いのではないかと推察する。もちろん「『うっせぇわ』って言いたいことある~」程度の共感は置いておいて。

では何が良いのか。それは、ただただ「うっせぇわ」と声に出せる気持ち良さ。普通に「うっせぇわ」なんて冗談でも言えない子に、「歌っている振りをして、言っちゃいなよ」というノリだ。

だから子供たちも意味もわからず「うっせぇわ」とノリノリで歌っているし、大人に至っては替え歌にして自分たちの「うっせぇわ」やそれ以外の言いたいことを具体化することに活用している。

もちろん、親の中には「言葉が悪い」、すぐに「うっせぇわ」と言うようになってしまったなど、顔をしかめている人もいると思う。「『うっせぇわ』と人に言うことは失礼だ」と教育的指導はすべきだと思う(実際、品が無いし、良い言葉ではない)。

でも、「歌っちゃだめ」は勘弁してあげて欲しい。だって、きっとすごく楽しく歌っているから。

「天才です」という言葉には何の根拠もない。悪でもない。社会の理不尽さを憂いていそうで、実はまだまだ何もしらない。背伸びをしているだけなのだ。

そんな不安定でいびつな主人公像が、ただの他人であるおばさんには可愛くて仕方がないのだ。

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