『放任主義』が理想でした
私の母親は「放任主義」がベストだと、放任主義の子育てをしていると自信ありげに語っていた。
だが、私の母親が行っていたのはネグレクトに近いものだったように感じる。
母親が語っていたのは「放任主義だから親が世話する必要はない」との主張だった。
10歳未満の子どもに対して、手本を見せることも助言を出すこともしない。失敗したときだけ、自力で管理できないのが悪いと怒鳴る。
そして「何故できないんだ!」とヒステリーを起こす。
子どもが失敗したことへのフォローはない。
理想的な放任主義で子育てしているのに、理想通りの子どもに育たないのが不満だったらしい。
「娘がいるせいで幸せになれない」と、娘本人に向かって嘆いていた。
当時の私は小学生。
放任主義と言って何も言わない母親の理想を汲み取る洞察力などなかった。
母親のヒステリーを見て自分が間違えたことを悟り、怒られない言動を手探りしていた。
自己流だから、母親を満足させる結果を出せないこともあった。「自分の子とは思えない」と、よく責められていた。
機能不全家庭の子どもは地雷原を歩くようだと例えられるが、まさにそのような状態だった。
機嫌が良ければ許される言動も、突然ヒステリーに繋がる危険がある。
だから「前回は大丈夫だったから…」と考えてはいけない。これは理屈ではないのだ。
一般的な放任主義は、子どもの自主性に任せるものだと聞く。親子間の信頼関係があって初めて成り立つのだろう。なぜなら、自主性に任せた結果、子どもがどこへ行くかを制御しないのだから。
想定しない方向へ子どもが進んでも応援できるような親でないと難しいと思う。
幼い日の私に伝えたい。
「何も指示しなくても親の理想通りに育つ」と信じて、放任主義を掲げながらも子どもの言動を制限した母親は、純粋に未熟だったのだ。
大人の世界でも「何も言わなくても希望を叶えてくれ」なんて言ったら、ふざけるなと一蹴される。
10歳未満子どもに対して求めていいものではない。
希望があるなら言葉で伝えればいい。
伝える努力を怠って「理想通りに育たないのが悪い」とヒステリーを起こすのは甘えだ。
僅か10歳の子どもが、母親の機嫌にまで責任を負う必要はない。
怒られたくないという動機だったとしても、言葉で伝えない母親の希望を汲む努力をがんばっていた。
とても、がんばっていた。
どんなに親不孝だと否定されても、母親のヒステリーに耐えて母親の希望を叶えようと足掻いた10年間、とてもよくがんばった。
だから、もう、自分を責めなくていい。
幼い心身で可能な限りのことをしてきたのだから。