con_chi

こんちーと申します。

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最近の記事

生きづらさに『理由』を付ける

社会人になったら親の影響を言い訳にしてはいけないという風潮がある。 間違いではないと思う。 ただ、思春期に親へ反抗する機会を逃した人、学生時代に「親のせいで…」と感情を出せなかった人は、仕方ないんじゃないかと言いたい。 「親の教育方針で友達と遠出できなかった」 「友達付き合いを覚えられないまま社会に出た」 「就職してから人間関係で詰んだ」 親のせいで苦労したと言いたくなるよ。 責任転嫁しても許してあげようよ。親の影響も小さくないよ。 社会人がゼロから友達付き合いを覚える

    • 弱ったときは『実家』で回復?

      頑張りすぎた人に対して、休むようにと声をかける人は多い。私も、同僚や家族に過労の徴候を見たら迷わず休んでほしいと伝えるだろう。 ただ、「しばらく実家で寛いだらいいよ!」みたいなアドバイスをする人の多さには困惑してしまう。世間的には“実家は心身が弱ったときに助けてくれる場所”だということを、身に沁みて感じるから。 昔、睡眠障害や胃潰瘍で弱っていたとき、実家に帰るよう勧められることが続いた。休みなさいと優しくアドバイスしてくれる人の9割は、実家を頼るように言っていた。残りの1割

      • その『正論』は要らない

        何故、「気にしなければいい」の一言で、解決すると考えるのだろう。 崖から落ちて骨折した人に対して「崖に近付かなければいい」と言っても、折れた骨は治らないように ストレスで眠れない人に対して「気にしなければいい」と言っても、何も解決しないと言いたい 骨折した人に対しては、折れた骨を治療したあとで、事故を防ぐための提案をする人がほとんどだと思う。 それなのに、ストレスで苦しむ人に対しては、思い悩んでいる最中に「気にしなければ…」と予防策を提案する。それが最善の対応だと信じて

        • 『嫌いな人と仲良く』というアドバイス

          人付き合いに関する HOW TO は、それこそ星の数ほどあり、何が正しくて何が間違い…とかはないと思う。 ただ、嫌いな人と仲良くすることが良いことだという言説を極端に信じてしまった。という話。 嫌いなる理由は、同族嫌悪かもしれないし、嫉妬が根底にあるかもしれない。 「敢えて嫌いな人と仲良くなることで、自分に足りないものに気付くチャンスを得られる。逆に、嫌いな人を避けることで自身の欠点をも無視することになり、結果として性格が悪くなり交友関係が狭くなる。」 「嫌いだという感

        生きづらさに『理由』を付ける

          『謝ったのに許さないのはおかしい』という主張

          私の個人的な感情だが… 「謝ってるんだから許してあげなさい」 第三者から指示されて嫌な気持ちになることが多かったように思う。 これは小学生の頃の話。 いじめられて嫌な気持ちになっているのに、明らかに口先だけで「ゴメンナサイ」と言う相手(加害者)。  それ、絶対反省してないよね。  何度も繰り返してるし、今度こそ許さない。 憎い相手へ言い返す言葉を考えていたら、傍にいた教師が一言。 「きちんと謝って偉いね。これで仲直りだね!」 満足そうに加害者側を褒めていた。  嘘でしょ…

          『謝ったのに許さないのはおかしい』という主張

          『放任主義』が理想でした

          私の母親は「放任主義」がベストだと、放任主義の子育てをしていると自信ありげに語っていた。 だが、私の母親が行っていたのはネグレクトに近いものだったように感じる。 母親が語っていたのは「放任主義だから親が世話する必要はない」との主張だった。 10歳未満の子どもに対して、手本を見せることも助言を出すこともしない。失敗したときだけ、自力で管理できないのが悪いと怒鳴る。 そして「何故できないんだ!」とヒステリーを起こす。 子どもが失敗したことへのフォローはない。 理想的な放任

          『放任主義』が理想でした

          体調を崩したら『迷惑』ですか?

          地元を出るまで、一部の方言を共通語だと信じて疑わなかった。みたいな。 当然のように刷り込まれて常識と思っていたことが、実は一般的じゃなかった。みたいな。 そんな自分の思い込みに、最近気付いたという話。 私は「体調を崩して看病してもらう」という経験がない。 小学生時代は毎月2〜3日ほど体調を崩して学校を休むような子どもだったので、客観的には、身体の弱いほうだったと思うが、看病された記憶がない。 私の両親は、体調を崩した私を家に残して仕事へ行くのが 普通 だった。 誰もいな

          体調を崩したら『迷惑』ですか?

          なぜ『泣く』のか、ということ

          物心ついた頃から、私はよく泣く子どもでした。 そして、私の両親は泣くことを許さない主義の人達でした。 それは幼稚園に通っていた年齢、3〜4歳くらいだったでしょうか。 大泣きしていたときに「悲劇のヒロインを気取るな!」と、強く怒られたことを覚えています。 怒られたことの恐怖だけが記憶に残り、自分が何故泣いていたのかは忘れました。 時は過ぎ、小学校1〜2年生になっても、私はよく泣く子どもでした。 周囲の大人から「泣けば許されると思っているのか!卑怯者!」と、強く怒られたことを

          なぜ『泣く』のか、ということ

          『その感想は正しくない』への反論

          納得するまで繰り返し考えることで落ち着きを得る気質だけど、考えた結果を人に話すことは少ない。 話を聴く相手の負担になるかもしれないし、考えすぎだとかわがままだとか、人格に問題があるとして説教されるかもしれないから。 それに、感情を文字にすると人格否定されるとの刷り込みがあって、文章を書くことへの抵抗感もあった。 思い返せば、小学生のときに教師に提出していたノート。下校後に自宅で何か書いて、登校して担任教師へ提出して、担任教師がコメントを書いて返すやつ。  「そのように感じ

          『その感想は正しくない』への反論