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あの頃抱いていた揺るぎないモノ

中学から音楽に目覚め、様々なジャンルを聴き、高校になると松本駅前で路上ライブをするようになった。

当時はゆず、うたいびとはねが好きで、ひたすらコピって演奏しては曲を作っての繰り返しだったと思う。もっとも充実していて音への熱があった時代だ。

やがてパンクブームが訪れると、それに感化されるように多くのパンクバンドを聴くようになる。握るギターもアコースティックからエレキに変わり、足下(ペダル)も増えていった。

大学ではバンドサークルに所属。今でも大好きなB-DASHのコピーバンド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのコピーバンド、後数個ほどのコピーバンドに打ち込んだ(畑がハードコアやヘヴィロックなどのラウドロックに変わる)。

しかし、大学時代の私はメンタルが不安定かつ非常に弱く、人見知り+神経質という人間関係に疲れるタイプ。そのため、音楽への熱はあるのに周囲を気にし過ぎて自滅。大学2年になっときサークルを辞めてしまった。

今現在では人見知りって何?と思えるまでに成長したが、大学時代を振り返ると非常に勿体なかったと感じている。まあ、自分の殻をぶち破って自身とは何たるかを知るのはまだ先の話(東京・千歳烏山時代)だが。

サークルこそ辞めたものの、音楽熱が冷めたわけではなかった。もともと私は作曲やミックス、マスタリングなどの裏方に興味があった人間。なのでDTMをやりだすと平気で1日消化していたし、メシを食うことすら忘れる程だった。

そう、私がこの世でもっとも好きなのは、あーでもないこーでもないとミックスをすることなのだ。

大学卒業後は裏方(エンジニア)になるべく上京。在学中に得たWebライターもどきの仕事でなんとか生活しながら道を探る。しかし、メンタルが弱いうえに自信を持てない私に光など差すわけがなかった。

それから数年。気がつけばライターとして稼げるようになり、次第に音楽熱は冷めていく。いつしかギターもDTMも触らなくなっていった。

そして10年が経過した今、私の中で当時抱えていた揺るぎないモノが脈を打ちはじめている。

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