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カスハラと資本主義

2024年1月。東京・南麻布にある高級寿司店で、港区女子がSNSに投稿した内容が波紋を呼んだらしい。

どうでもいいことが耳に入る。「SNSにいる自分が悪い」と反省する。

「お客様は神様」じゃない。

コンビニの“おでんツンツン男”に、回転寿司の“醤油ペロペロ少年”。

SNSは、現実世界の写像あるいは虚像のパラレルワールドとして、現実を再構築している。知りたくもない、もう1つの世界。

かつては「反社会的消費者」と呼ばれた。

「お客様は神様」じゃない 猛威振るう反社会的消費者|日経ビジネス

現在は「カスハラ」という和製英語になった。

カスタマーハラスメント
《〈和〉customer+harassment》消費者・顧客による悪質ないやがらせや迷惑行為。理不尽なクレームや暴言を繰り返す、度を超えた謝罪や対価を要求をする、暴行を加えるなど。カスハラ。

デジタル大辞泉「カスタマーハラスメント

2020年にパワーハラスメント防止法(改正労働施策総合推進法)が施行

カスハラと正当なクレームの違いは?JR東日本など対応事例 現場では“線引き難しい”との声も|NHK

2023年には旅館やホテルが“迷惑客”への宿泊拒否が可能になった。社会的規範は失われる一方、カスハラへの注目度は増すばかりだ。

古来、京都花街は「一見さんお断り」が当たり前

現代、高級ブランドも「一見さんお断り」らしい。

スイスの高級腕時計ロレックスの購入は、何度もロレックス正規品販売店に通う必要があることから、「ロレックスマラソン」と呼ばれる。

「なぜ私たちはバーキンを買えないのか」と怒る人たちもいる。

超高級バッグ「バーキン」が買えない、米消費者が仏エルメスを提訴|Bloomberg

会社によって「選ばれた顧客」だけが買える。それがバーキンだ。

ティナ・カバレリ、マーク・グリノガ両原告はサンフランシスコの連邦地裁に提出した訴状で、バーキンはエルメスのウェブサイトでは購入できず、店舗にも陳列されず、会社が「有資格」と判断した「選ばれた」顧客だけが個室で見ることができると指摘。これは不公正なビジネス慣行に相当し、反トラスト法に違反すると主張している。

同上

背景には、デジタルテクノロジーが可能にした“転売ヤー”の流行がある。そんな話を前にポッドキャストで話した。スニーカーもポケカもカップラーメンも、メルカリで売れるとわかれば買い占める。

お金に色はない。お金があれば、誰もが公平にモノやサービスを享受できる。それが行き過ぎた「資本主義」の価値観だった。

でも、限界じゃないか?

正確には「リアルだけ」では限界である。

誰だって「メルカリで低評価の人」に、モノを売りたくないだろう。誰だって「Amazonで低評価のモノ」を買いたくないだろう。

デジタル空間には「レビュー(評価)」がある。買い手、売り手、レビューがたまればたまるほど、信用のデータがたまる。

価値交換(取引)は本来、相互の信用があって成り立つものだ。ドタキャンをたびたびするユーザーは、その予約プラットフォームを利用できなくなる。すでに起きていることだ。

「お客様は神様」じゃない。売りたくない人には、売らなければいい。

ただし、すべてのモノやサービスに適用することはできない。高級寿司店や高級ブランドなどはいいが、もし電車やバスの乗車を拒否したり、生活に必要な食品が買えないなどが起きたら大問題だろう。どこでラインを引くかは、社会の合意形成が必要だ。

信用のデータをどう管理するのかも課題だ。中国のアリババが開発した「セサミ・クレジット(芝麻信用)」を国家やAIが管理したら、それこそディストピアだろう。

課題はある。技術の進展と社会の受容には、相応の時間はかかるだろう。でも、結論は変わらない。

売り手は、買い手を選べるべきだ。


以下は、web3に興味のある人だけに向けて書く。

本テーマの課題を解決するテクノロジーは、Proof of personhoodなどの本人確認の仕組みや、ゼロ知識証明などの秘匿性を保持したトランザクション処理など、ブロックチェーンにあることは疑う余地はない。

しかし、これらはサービス提供のレベルに至っていない。最近になり、ようやくエアドロップ(無償配布)にポイント制が導入されるケースも増えてきたが、インターオペラビリティ(相互運用性)もなく効果は限定的だろう。

トークンの発行者は、トークンの購入者を選べるべきだ。

本来はそうあるべきなのに、こうした評価システムの導入が遅れた理由の1つは、「web3の思想」の誤った解釈によるところではないか?

オープン(Open)、トラストレス(Trustless)、パーミッションレス(Permissionless)、分散型(Decentralized)は、web3のおなじみの標語だ。


これらの価値観が100%反映されるべき場所は、イーサリアムなどのプロトコルレイヤーである。誰もが価値交換をできる基盤が、プロトコルとしてのパブリックブロックチェーンの役割である。

そのイメージは、本で次のように描いた。土地、エネルギー、道路などがなければ、商業施設は成り立たない。ゆえに公共性があるインフラだ。

デジタルテクノロジー図鑑』p.121「web3のレイヤー構造」より

DApps(分散型アプリケーション)やDAO(分散型自律組織)は違う。自分たちのつくった商業施設を運営するために、他のお客様に迷惑が生じるようなら、決められた手続き(スマートコントラクト)によって、それなりの手段を講じるのが当然だ。

DAppsやDAOにおいては、オープンでトラストレスでパーミッションレスで分散型なエンティティ(実体)である必然性はない。高級寿司店や高級ブランド店なのか、電車やバスや生活必需品を買うスーパーなのか、社会の合意形成によってラインが引かれるべき問題である。

web3の思想を拡張して考え過ぎないように、気をつけたい。

最後に。繰り返しになるが、アイデンティティ(自己同一性)レイヤーの仕組みやサービスは、インターオペラビリティ(相互運用性)がなく、提供のレベルに至っていない。この現実をあらためて認識してほしい。

日々、Xで起こる出来事は、些細なものだ。すべては技術的未成熟、ユーザーのリテラシー不足に由来する。どうか雑音に巻き込まれないよう。

NFTプロジェクトに絶望せず、web3に希望を持ってほしい。

それだけが言いたくて、noteを書いた。