娘と笑顔で接するために、平日は料理をやめてみた。
「今日の晩御飯は、何を作るの?」
仕事が終わってさぁ帰ろうとした時に、同僚に質問された。
当たり前のようにそう質問するということは、彼女はちゃんと毎日ご飯を作っているのだろう。
「平日はほとんど料理をしない」と言うと、ひどく驚かれ、そしてたくさん質問される。
じゃあ、平日はご飯どうしてるの?
毎日総菜だとお金大変じゃない?
旦那さんは文句言わない?
まだまだ世の中は「女性が料理するもの」という認識が強いんだなぁ、と感じるけれど、それはさておき。
料理しないと言うだけでこんなに不思議がられるなんて、世の中のみんなは頑張って料理をしているのだなぁと、改めて思う。
でも、私は昔から思っていた。
「料理」って、他の家事と比べて、明らかに負担が大きくないか?と。
毎日のルーティンとして、片手間でこなせるようなものなのだろうか。
掃除や洗濯と並んで、まるで家事の一つであるかのように語られるけれど、料理だけ飛び抜けて大変だと思う。
こう感じるのは、私が家事全般苦手な人間だからだと思っていた。
けれど、「平日は料理していない」と言うと、「それでいいんだ!」という反応をされるのをみると、世の中のみんなもやっぱり、めんどくさいと感じているのではないか。
試しに、「料理する」という作業の工程を洗い出してみる。
まず、献立を考える。
なるべく毎日被らない、かつ栄養バランスの整った献立にしなければならない。それも主食だけでなく、副菜とか合わせて複数。
材料を買いに行く。
冷蔵庫にある材料とにらめっこして、足りないものは何か、買わなくていいものは何かを見極める。食材を無駄にしないため、在庫によって献立を変える場合もある。
台所で料理する。
限られた時間で料理するには、最も効率的に進める流れを見極めなければならない。先に何を炒めるか、下準備をするか。などなど。
食器を選ぶ。
盛り付ける。
そして料理後は、大量の洗い物が発生する。
食器や料理に使った調理器具だけでなく、台所もコンロ周りも汚れる。
もし料理が余ったら、タッパーに入れて保存したりもする。
こうして書きだせるタスクだけでも、多すぎる。
これを、毎日、毎食やらなければならない。
働いているから、共働きだから、料理する時間がなくて面倒なのか?
そうではなく、「料理」そのものが、毎日やるには大変すぎる作業だと思う。
専業主婦だった母だって、いつも「今日のご飯は何にしよう」と頭を悩ませ、ため息をついていた。
料理さえなければ、もっと家事は楽だったと思う。
私だって別に、料理自体が嫌いなわけではない。
美味しくできた時は嬉しいし、それを人に「美味しい!」と言ってもらえたら、もちろん嬉しい。
けれどそれも、毎日のルーティンとしてやるのは辛い。
例えば、「カレーが食べたいから作ろう!」と決めて、ちょっと良いルー買っちゃおうカナ♪なんて思いながらカレーの材料を買い込み、作って食べる、というのは全然楽しい。
そうではなくて、毎日毎日、義務的に行う料理がしんどいのだ。
こんな大変なことを、ましてや育児しながらするなんて、絶対に無理だ。
子供が産まれる前からそう思っていた。
だから夫と話し合って、「今は、料理はできるだけしない」と決めた。
家事が辛くなる原因の大半は料理だから、思い切ってやらずに、ストレスを感じないようにしよう、と。
少なくとも、育休明けの仕事復帰後の生活に慣れるまでは、極力料理はしないことにしたのだ。
そして、ストレス以上にもっと大事な理由。
料理をすると、娘と触れ合う時間が減ってしまう、ということだ。
親がキッチンにいると、後追い真っ最中の娘は寄ってきてしまう。キッチンは危ないからなるべく近づけたくない。そんな中で、大泣かれたり料理の邪魔をされると、とても苛々してしまう。
ただでさえ保育園に行ってる間は離れ離れなのに、「ちょっと待ってね〜💦」と娘の泣き声を聞きながら料理して、そうまでして作った料理を、子供が食べないことだってしょっちゅう。
それで、「苦労してせっかく作ったのに!」と苛々してしまうのが嫌なのだ。
「手抜き料理でいいんだよ!」ともよく言われるが、家事能力が低い私からしたら、そもそも「手抜きする」というのが高等テクニックである。
新入社員にいきなり「これは大変な仕事じゃないから手を抜いていいよ」と言っても、どう手を抜いたらいいかわからず、全力投球する方がまだやりやすいだろう。
「ずぼらレシピ」や「手抜き料理」ができる人たちは、本気になればとても素晴らしい料理を作れるはずだ。
「誰にでも描けそうな簡略絵」で人気のイラストレーターさんは、本気で描いたらめちゃくちゃ絵が上手いことがほとんどだ。
「力の抜き方」を知っているのは、「能力の高い者」か「道を究めた者」だけだ。
一度その道を極めた人間だからこそ、手を抜いたり、力を抜くことができるのだ。
だから元々料理が苦手な私が、最初から「上手に手抜き」することなんてできない。
「帰宅後にちゃちゃっと手抜き料理を作る」ということは、自慢じゃないができないのである。
それに共働きである以上、家事育児分担は可能な限り平等にしたい。
家事育児分担にマスト業務として「料理」を入れると、途端に夫婦の負担のバランスが崩れてしまう。
平日の保育園のお迎えは私の担当だ。
なので、毎日夜ご飯を作るとなると、私の家事負担が重くなる。
「ご飯を作る」という家事が増えるだけで、
「帰宅するまでに献立を考える」
「家の冷蔵庫に会った食材で足りるかを考える」
「お迎え後に、必要であれば子供を連れて足りない食材を買いに行く」
「子供が騒ぐのを「ちょっと待ってね~」となだめながら、ご飯を作る」
「子供を寝かしつけた後に、洗い物をする」
という、複数のタスクが同時に発生する。
「料理をする」と、料理という家事が増えるだけでなく、芋づる式に色んな家事が増えていく。
「ご飯を作らなきゃ」と思うだけで、退勤時間が近づくと、献立や冷蔵庫にある在庫のことを考えてしまう。
仕事の時間に、思考を100%仕事にあてられなくなってしまうのが、嫌なのだ。
私たち夫婦が共働き育児をする上で大事にしていることは、「平等であること」と、「無理をしないこと」だ。
どちらも同じ時間働いている以上、家事育児もどちらかに負担がいかないように努める。
夫も、私だけに負担がこないように努力してくれている。
これらの理由から、平日はできるだけ料理をしていない。
子供の分だけはなるべく作り置きで、大人は休日に作った冷凍ストックとか、買った総菜で何とかまわしている。
栄養面はあまりよろしくないかもしれない。
けれど、子供が幼いうちの育児を乗り切るために、「無理をしない」ために、今はこれでいいと思っている。
子供が成長していけば、また変わっていくこともあるだろう。
「もっと手料理が食べたい」とか、「みんな揃ってご飯が食べたい」とか、子供が希望を言ってくるかもしれない。
その時には、家族で話し合って、やり方を変えていけばいい。
「あたたかい手料理」や、「家族揃っての夕ご飯」も、もちろん大切だ。
けれど、「理想の家族像」に合わせて苦しむより、「自分たち家族のライフスタイルに合わせてやっていくこと」の方が大事だと思う。
「普通は」「世間は」ではなく、「私たち家族にとって優先されるべきことは何か」にしっかり向き合いながら。
今後も、家族みんなが笑顔になれるスタイルを作り上げていきたいと思う。
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