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産後うつではないと思っていたけれど、思い返してみたら少しおかしくはなってたなぁと思った話。



少し前に、娘が一歳の誕生日を迎えた。


娘は保育園に通いはじめ、私と夫は一年間の育休を終え、それぞれ仕事に復帰した。
最初の一か月間はそれなりに大変だった。娘が熱を出したり、私も体調を崩したり、仕事を休んでばかりだった。



三か月経った今では娘もほとんど熱を出さなくなり、生活のリズムも整ってきつつある。

そんな忙しい毎日を過ごす中で、ふと産後のことを思い出す。

ちょうど去年の今ごろ、生後100日を迎えた。


先の見えないはじめての0歳児育児。まずは新生児の一か月、次は生後100日、次は生後三か月…と、小さな目標を乗り越えては安堵し、また次の目標に向けて奮闘する日々だった。
大変だったけれど、それなりに楽しくもあったし、幸せだった。



けれど同時に、「漠然とした不安」にずっと悩まされていた。


あれは、産後だったからなのかもしれない、と今なら思う。
「産後うつ」というものは聞いたことがあるけれど、定義も知らなければ知識もないので、気軽に「産後うつだった」などとは言えない。

ただ、「産後はいつもと違って、何かがおかしかった」と振り返ってみて思う。


産後うつは、育児による疲れや寝不足のせいだと聞いたことがある。
じゃあ私は産後うつになんてなるはずがない。夫も一年育休をとっていて、産後からしっかり睡眠も休息もとれていたのだから。
そう思っていた。


娘のことは心から可愛いと思ったし、テレビを見て笑ったり、食べ物を美味しいと思う余裕もあった。


けれど、育児に少しずつ慣れ、生活のリズムができてきた生後三か月の頃のこと。
ふと、ずっと昔に失敗した仕事のことを思い出した。


もう何年も経っているのに、なぜかすごく不安になった。
あのミス、本当に大丈夫だったのだろうか。謝ったし大丈夫だったと思ったけど、何か大きな問題になっていたらどうしよう。


なんでこんなことを急に思い出したたのだろう。
そう思いながらも嫌な気持ちは拭えなくて、考えないようにすればするほど思い出すようになっていった。


そもそもなんで失敗してしまったのだろう。
もっとちゃんと確認するべきだったんじゃないか。
その時の上司に連絡して、今からでももう一度謝った方がいいんじゃないか?


今になって思えば、相当おかしな思考をしていた。
本当に連絡していたとしたら、当時の上司も「は?」となっていただろう。けれど、当時は本気でそうした方がいいと考えていた。


それだけでなく、色々なことに対して不安になった。
小さなことが不安になり、過去の嫌なことを思い出し、毎日びくびくして過ごすようになった。



運転も怖くなった。
産前は毎日のように運転していたのに、とても怖くて運転などできなかった。妊娠でしばらく運転しなかったからではない。身体はもう大丈夫なのに、ハンドルが怖くて握れなかった。幸い夫が育休中だったので、買い物は夫に行ってもらうか一緒に行くようにして、極力自分で運転するのを避けた。
 


こうした「漠然とした不安」はどんどん大きくなっていった。
胸がドキドキして、いつも落ち着かない。
夜になると不安は更に強くなる。怖くて怖くて、でも、何に怯えているのか分からなかった。家にいるのが怖くなって、夫が娘を見ている時にはウォーキングに行くようにした。
けれど、そうしている間にも何か大変なことが起きてしまうような気がして、そのまま走り出してどこかへいってしまいたい衝動に駆られた。



今思い返しても、「強い不安感」としか言いようのないものだった。



友人に電話をして、話を聞いてもらおうと思った。
けれど、うまく言葉にできない。この不安の正体をうまく表現することができない。自分でも、不安の核にあるものが何なのか、わからないからだ。


子供をうまく育てていけるか不安?
仕事に復帰できるか不安?
産後の身体が辛い?


どれもこれも、言葉にしてしまえば「分かるよ~」「産後だから、仕方ないよ」「よくあることだよ」と言われそうな内容だ。
けれど、どの説明もしっくりこない。もちろんそうした育児に関する不安もあったけれど、私が抱えていたのはもっと大きな、得体の知れない不安だった。



「不安だ」と言葉にすれば、「育児の不安」に置き換えられてしまいそうで言えなかった。
そうじゃない。子供のことは心から可愛いと思う。産まなきゃよかったとか、もっと一人の時間が欲しいとか、そういうことを思っているわけではない。



言語化できない、漠然とした何か。



正体がわからないからこそ、解決方法がわからない。
「こうすればこの不安がなくなる」という解決策も、そのための手がかりもわからない。それがまた怖くなった。この先の人生もずっと、このわけのわからない不安を抱えて生きていくのだろうか。
そう思って、とても怖くなった。


過去の嫌な出来事を思い出す頻度も高くなった。
あの時、仕事で失敗してみじめだったな。
あの時、すごく嫌なこと言われたな。
私って、何もできない人間なんだな。
思い返すたびに、そんな気持ちになって辛かった。


思い出す過去は、高校、中学、そして小学生の頃にまで及んだ。
もう何年も思い出していなかったようなことまで思い出し、反芻しては嫌な気持ちになった。
目の前に可愛い子供がいて、笑顔や成長を見れて嬉しいのに、一方で頭の中では、今と全然関係のない過去の事を思いだしては落ち込んでいる。



なんなんだろう、これは。
子供は本当に可愛いのに、もっと育児を楽しみたいのに、過去の出来事に邪魔をされて集中できない。どうしたらいいかわからなくて、毎日自分を責めていた。


むしろ、幸せすぎて怖いのかもしれない。
幸せだから失うことが怖いのかもしれない、と思った。
可愛い子供が産まれて、毎日一緒に過ごせて、この日々を失うのが怖いのかもしれない。奪われてしまうことへの不安なのだと自分に言い聞かせた。



しばらくして、仲の良い友人に子供が産まれた。その子が三か月になった頃、電話で友人が言った。


「最近、やたらと昔嫌なこと思い出すんだけど、なんなんだろう…」



私は驚いて、自分もそうなのだと伝えた。
娘のおむつ替えしている時、離乳食を挙げている時、一緒に遊んでいる時。育児をしているのに、関係ないことを思い出しては暗い気持ちになってしまうのだと。


「他の人もそうなんだと思ったら、ちょっと気持ちが軽くなった」
友人が言った。
私もそうだった。自分だけじゃなかったことに、少しだけ救われた。



その後育休が終わり、仕事に復帰し、慌ただしく日々が過ぎて今に至る。



育休中に感じていた不安は、まったくというわけではないけれど、ほとんど感じなくなった。
仕事や育児に対する不安はあれど、あの時自分が感じていたような、纏わりつくような不安感や閉鎖感とは違う。当時はしょっちゅう「産後 強い不安」とかで検索していたけれど、今はもうしていない。



今思えば、育休中は「身体はすごく忙しいしめまぐるしいのに、頭の中は暇」という状態だった。それだけが原因ではないけれど、一因ではあると思う。



私には専門的な知識はないし、自分の経験からしか物を言えない。
けれど、産後に自ら命を絶ったり、悲しい結末になってしまう人たちも、「育児が大変だったから」「幸せそうに見えて本当はそうではなかった」という、単純な話ではないのかもしれないと思った。



子供を愛しく思い、心から幸せだと感じる。それなのに、不安で苦しくてもう消えてしまいたい自分もいる。どちらも本当の自分で、だからこそ、乖離する二つの感情に挟まれて、とても苦しかったからだ。


今、過ぎたからこそ、「あの時自分はやっぱりちょっとおかしかったな」と冷静に思えるけれど、当時はそんな自覚もなかった。



もし今育児中で、同じように不安に苛まれてる人がいたら、「産後だから仕方ないな」と割り切って、自分を責めないでほしいと心から思う。




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