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ハラスメントにおける「罪を憎んで人を憎まず」という考え方

こんにちは、非営利組織とコンプライアンス研究会の代表世話人を務める弁護士・塙 創平(はなわ そうへい)です。

前回、ハラスメントによる懲戒処分は「罪の重さに見合った内容」「重ければ重いほど良いわけではない」「裁判で無効と判断されたら、やり直しはできない」ということをお伝えしました。

しかし、「他の人を傷つけた、迷惑をかけた存在を許せない」と感じることや、「軽い処分では他の従業員の士気が下がる、同じことが繰り返されないようにみせしめとして重めに処分したい」などと思う気持ちを持つこともまた、人としてごく自然な感情でしょう。
経営者や管理職の方は特にそうかもしれません。

ただ、組織運営を長い目で見た時、すこやかな職場であり続けることを目指すには、「罪を憎んで人を憎まず」という考え方を取り入れていくことも大切だと私は思っています。
この記事では、「罪を憎んで人を憎まず」の考え方について、ハラスメントとの関係を弁護士の視点からお伝えします。

被害者の方からすると「何を言い出すんだ!」という気持ちになる箇所があるかもしれません。この記事はあくまで、加害者対応をしなければならない組織の経営者や管理職の方向けに書いたものとして、受けとめてもらえると幸いです。

一発アウトの処分「だけ」では、すこやかな職場環境にならない

不祥事が起きたとき、組織は大抵、「不祥事を起こした個人が悪い」と考え、「排除して一件落着したこと」にしがちです。
排除というのは、例えば懲戒免職や、明らかな左遷(異動)などです。

もちろん、犯罪レベルの行為など、結果も深刻でやり直しが効かない場合など、一発アウトにする他ない場合も多々あります。今回の話は、そういったケースを前提としていません
ただし実は、たとえそういった場合であっても、あくまで、行為に深刻な問題があるからであって、個人の人格を批判しても意味がない、と法律家は一般的に考えます。

程度によらず不祥事を起こした人を、常に「排除することで表面上の解決」としていると、労働者は心のゆとりをなくします
「自分もいつか、悪気なく発した些細な言動や、精神的に追い詰められた時に思わずした言動がハラスメントだと言われるかもしれない。そうしたら排除されてしまう。」
排除されていく人を見送りながらも、このような思いが頭を掠めるからです。

そんなピリピリ感のある環境は、すこやかな職場とは言いがたいですよね。
誰しも、もし自分がその立場に置かれた場合、「いきなり懲戒免職(左遷)にする前に、誰か警告してよ」と思うはずです。

ですから、段階的な懲戒処分によって、更生する機会を提供するわけです。
もし、ハラスメントに対し組織が適正な懲戒処分をすることで、加害者が心から反省し、二度とハラスメントをすることがなければ、今後組織に貢献する「かも」しれません。

刑事裁判でも、同様の考えがあります。
例えば、万引き(窃盗犯)の場合、いきなり拘禁刑になるわけではありません。「(微罪処分>)罰金刑>執行猶予付拘禁刑>拘禁刑」と、同じような物を盗んでも、捕まる(処分される)度に、一段階上の処分を受ける(ステップアップ?する)のが通例となっています。

組織構造がハラスメントを誘発することもある

コンプライアンス違反、ハラスメントの発生には、そもそも組織自体にも原因がある場合があります。組織がちゃんと防止策を講じていたら、ハラスメントそのものが起きなかった「かも」しれません。

たとえば慢性的な人手不足や、サービス残業、ひとりの人に負荷が偏る状況、など、組織の構造がハラスメントが起きやすくなっている場合もあります。

もちろん、だからと言ってハラスメントが容認されるわけではありません。
ただ、たとえば「◯億円横領」などの事件は、何十年にもわたり「一人で経理を担当しており、誰もチェックをしていなかった」などの環境が背景にあったりします。
組織が業務の属人化を防いでいれば、起こり得なかった事件なわけです。

加害者の排除は「根本的な解決」にはならない

被害者の方からすれば、

  • 何をのんびりしたこと言っているんだ

  • ハラスメントをするやつは繰り返すだろ、更生なんかしない!

  • 甘い処分はむしろ、被害者を増やそうとしている

このように思うかもしれません。当然です。

おっしゃるとおり、ハラスメントは、人を支配しようとすることが思考のクセとなっている人が行いやすい問題です。

「人を支配しようとする」というと、少しヤバイ人なのかな?と思いがちですが、(あえてポジティブな表現を使うと)信念のある人や正義を実現しようとする人、特に愛情の強い人も「人を変えよう」とする傾向があります。これらもまた、「人を支配しようとする」という考え方の一種ともいえます。

思考のクセは残念ながら簡単には変わりませんから、早い段階で問題の芽をつむことは肝心です。
ですが、「問題の芽」を摘むのではなく「その人の存在自体を問題」だとみなし「排除する」ことで済ませてしまうと、排除された人はこの先、もうどこでも生きていけなくなってしまいます。

更生なんかしないからと放り出してしまうと、確かに更生せずに次の組織でも同じようにハラスメントをし、同じように排除され続け、ついにはどこにも居場所がなくなり自暴自棄となり重大犯罪を犯してしまう……なんてことが十分に起こりうるわけです。恐ろしいですね。

つまり、排除すれば、「その組織単位での」被害者は増えないかもしれませんが、社会としての被害者は増え続けます。
さらにいうなら、罪の責任を「あくまで個人の問題」だと考え、組織としての取り組みなく排除だけで解決としてしまうと、必ず「新たな加害者」が生まれます。その組織にとっても、他の組織で排除された加害者を招きいれてしまうことだってあるかもしれません。

ですから、ハラスメントに対し安直に、懲戒処分「だけ」で改善しようとするのではなく、様々な取り組みをもって、人や組織が変わっていく取り組みが大事なのです。

それって、ハラスメントをした人に「ハラスメント研修」を受けさせるとかでしょ?と思うかもしれません。
確かに、研修は気づくための手段の一つではありますが、頭ごなしに「べき論」を聞くだけでは、思考のクセは取り除けません

ハラスメントから少し離れて、アンガーマネージメントやコーチングについて学んだり、それこそ他の組織に出向したり、ボランティア活動を促すなどして、その人の環境を変えてみる。
それによって、「違い」に気づく機会を作るということも有用です。

同じことをしていては、同じ結果にしかなりませんから、違う要素をつけくわえて、人が変わる機会をつくる。そのために、関わる人を変えてみる、そしてその人が変わったことに気づいてあげる伴走役(感想役)をつけて、変化を肯定するというのが肝心です。

人や組織が変わっていく取り組みは一朝一夕にはかないません。
しかし、組織の文化を作ることこそが、経営者や管理職の仕事ですから、人や組織が変わっていく取り組みの「引き出し」をたくさん持って、色々試してみてください。
すこやかな組織運営を実現するための、私からのお願いです。

そして被害者の方へ。
そうはいっても、許せない!というお気持ちでしょう。
許さなくていいです。あなたは被害者ですから、加害者に対して、「とにかく見えないところへ行ってくれ」と言っていい。

ただ、この記事を読んで、もしも「加害者には心から反省して、これ以上被害者が生まれて欲しくない」とい思いを、心の片隅にでも思っていただけるのであれば、書いた甲斐があるなぁと思います。
私はコンプライアンスに積極的に携わる弁護士として、被害者が生まれない組織の実現には経営者や管理者の方に小手先の対応をして欲しくないという思いでこの記事を書きました。少しでもご理解いただけるとととても嬉しいです。

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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