まなかい;大寒 第71候・水沢腹堅(さわみずこおりつめる)
深層意識に棲んでいるかつての自分に、会いにいった。
僕は前世のどこかで犬だったというので、いつか見たことのあるビジョンを伝えると、それだという。
草原の丘に建つ一軒家の木の家で、暗い部屋の中からずっと明るい緑の草原と、光を見ている。大きな毛足の短い白い犬で、傍に大きい木のテーブルの脚が見え、赤っぽいペルシャ絨毯のような敷物の、多分上に寝そべっている。その視点で、開いた扉の向こうをじっと見ている。どこかヨーロッパの北の方か、北米の感じがした。
…彼と話してみましょう。
その頃の僕(つまりこの犬)は、とても傷ついていて、そのままずっと傷は癒えないままなのだと。
… 何か伝えたいことがあるようなのでいきましょう。
動物とお話しできるなんで、昔話みたいで素敵だと思う。
僕は光の方から影として、彼の傍へ行ってみる。
わかってはくれたみたいだが、犬の姿が異なってしまった。違う犬がそっぽを向いて、そこにいた。黒と茶色の斑のあるビーグル犬のように見える。しばらく話しかけを試みるが、犬の言葉はわからない。ずっと横を向いている。
かつて僕だった彼のことを知って居るか問えと言う。
しばらく言葉を唱えるようにしていると、右の上の方から真っ白い光が射してきて、揺めきながら瞬いている。一度黒い影が上にざっと顔を出したらそのあとにミイラのように目が落ち窪んだ哀れな白い犬が見えた。生きているようには見えなかった。でも、白い光のメッセージは、外へ行きたいということなのだろう。そうしたいと思っているようだ。
…連れ出してあげましょう。
一緒に外へ出ると、普通に、あっけないほど無邪気に、彼は喜んでかけまわった。ブーメランを投げても凄い速度で駆け出して、森の際まで行って、加えて戻ってくる。よしよしをする。たくさん一緒に走ってあげる。犬の健脚は知って居るので、できるだけついていくよと、走る。広い広い草原か、牧草地だ。丘がいくつも連なっている。周りに家はない。どこまでも走れる。丘の向かうに沈む夕日を一緒に見て、満足してその時が締まる。
今度はご飯が食べたいという。
彼が傷ついて居るとしたら、、、僕の記憶が蘇る。
小さい頃飼っていた大きな白黒の斑の犬。グレートデーンだ。立ち耳だった。名前は「スワン」。野良犬だったと親は言うが、こんなに大きな立派な犬が、、、と子供ながらに思った。大きくても大人しくて、怖い思いをしたことはない。でも大き過ぎて家では手に負えなかった。あまりお散歩も行けず、汚い檻にずっといた。子供の僕はご飯を持っていく係で、冷や飯に湿気たドッグフードをかけて、持っていった。美味しくなさそうだったけど、ほぼ毎晩僕は運んだ。
ある冬の夜、たまたま僕は夜中に目が覚めた。
庭でスワンが一声「ワン!」と吠えた。珍しいな、、、と思っていつの間にか眠っていた。翌朝起きると母親が冷たくなっていたと言った。僕はおじいちゃんが死んでも泣かなかったのに、泣いた。あの声は最後の挨拶だったんだ。
だから温かいご飯に温かいお味噌汁をかけた。多分温かいものだったら、喜んで食べてくれる。
もう一つの記憶は、スプートニックのことだ。芝犬とラブラドールのミックスだった。愛らしい黒い犬。ピンクの首輪が似合った。毛並みも綺麗だった。彼との関係も複雑だった。
一度だけ、当時一緒にいた場所の、同じビルの地下にあったレストランのシェフが持ってきてくれた、大きなスペアリブの骨をとても美味しそうに、ガツガツと食べていた。あんな立派なものを食べるのは、多分生涯であの時だけだっただろう。骨をバリバリ食べるので、顎の力を思った。
それを温かいご飯に載せた。凄いゴージャス!
食べ終わると彼は笑った。こちらを向いて、お座りして、本当に笑った。それはちょっと大きなスプートニックだった。
「喜び」とはこうやって分かち合うことができるのだ。ひととけものでさえも。植物や温泉に住む微生物とだって、魂では対話ができて、本当は繋がっている。
僕は(かつて彼だった頃の僕は)、普通のことをしたかっただけ。
一緒にかけっこをして、外を駆け回って、温かいものを食べて、笑いたかっただけ。暗い場所から太陽のもとへ出たかっただけ。一緒に笑って欲しかっただけ。
やっと笑えた。
記憶は穴ぼこだらけだ。穴は覗かないと見えない。光は射さない。
凍りつめていたものを溶かすのは、光。それは愛に似ている。
どんなに深くても、届く。
72候に続く。。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?