見出し画像

立春 第3候・魚上氷(うおこおりをいずる)立春【末候】割れた氷の間から魚が飛び出る

宇都宮とは、不思議な地名。移しの宮、虚ろな宮、現の宮、、、二荒(ふたら)神社の別称「一宮」が訛ったという説もあるようですが、遠くの幻の宮が、うつつに移った宮、という方が浪漫を感じられます。二荒という名もサンスクリット語のpotalakaの音訳「補陀落」から来ているとされ、チベットのポタラ宮とも通じています。冒頭の写真は外構の設計依頼のあったお客さんの家の近くの路地を出た正面にあった空き家の庭。緑は敷地から溢れ出し、紅梅と蝋梅が入り混じって花の精が紛々としていました。椿や八手を控えとした見事な盛り花。補陀落は華厳経にも記述あり、華厳とは悟りに至る知の結びを咲いた花に例え、それがネットワーク化され網目状に結ばれたイメージ。青黒い宇宙に咲き競う花々は華厳そのもののようにも思えます。
画像1

 お客さんのところから鬼門の方角にあるので駅への帰り道に立ち寄りました。 松が峰教会。地元産の大谷石が貼られ、意匠を凝らしてあります。


画像2

中は黄色っぽい優しい光に包まれていました。卵の殻の中にいるようで、安心します。

画像3

レリーフも祭壇も大谷石。技術が高く、魂が感じられるのでそっと触れてみたくなります。

画像4

↑魚氷を出でて、アクエリアスエイジへ。魚はイエスの隠れシンボル。異端とされていた頃の信者たちのしるしだったらしい。

↓壁際の雨落ちに細い大谷石を並べていて繊細で美しかったでしょう。年月経て味わい深い。

画像5

追記:久しぶりに鉱物の夢を見た。宇都宮のお客さんとのお庭造りは諸条件が合わず流れてしまった。それを知る前の夜のことだった(わかっていたのかも)。

 美しい川辺にいた。潮干狩りのように、大勢ではないが三々五々広い川辺に人々は散らばっていた。水は光って、浅瀬で、砂に混じって玉が見つかる場所のようだ。みんなが欲望の塊となってそれを探している感じではなく、長閑な風景だった。連れて行ってくれたひと?が「よく貴重な石が見つかるといいます」というようなことを言い、僕たち家族もそっと裸足で水に入った。するといくらも行かないうちに深い緑の、手のひら大のまあるい平べったい石を水の中に見つけた。それは松露のような翡翠色で、しっとりと光っていた。場面はすぐに移り、大きな岩の横の浅瀬で光っていたのは水晶のようだった。長さは手のひらに乗せて指先に届くくらい。淡い黄色の透明な結晶だった。水滴が光りながら、それは手にのって重かった。二つの鉱石、翡翠の松の露と淡い卵白のような水晶は、宇都宮の松が峰教会を訪れた時の心象風景が何かギフトとして凝縮され、結晶化したものかもしれないと思う。今生ではなくてもいつかやってくる縁がありその約束の印のような気がしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?