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立秋;第39候・蒙霧升降(ふかききりまとう)

信州の山あいの集落。少年時代を過ごした場所から尾根を一つ超えたこの土地に、この頃なぜか惹かれ、帰郷すると立ち寄っている。「お姫尊(お姫様)」と地元で呼ばれる大岩があって、小さい頃遠足で行った。

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下のお宮のお祭りに一度か二度来たことがあったっけ。小さい頃はたくさんある小さなお宮それぞれで秋祭りがあってとにかく行くのが楽しかった。ちょっとずつ雰囲気が違うし、中学生くらいになるとちょっと遠くに友達ができて、行けるお祭りも増えた。それも3年生になると受験とかで奪われるからたった2年のことだったけど縁日の記憶の断片は鮮やかだ。

尋ねた日は雨模様。登っていくとお休み所だったところは朽ち果てたまま、石の脇のお堂が新しくなっていて、石に刻まれた仏様を見上げ、文字をなぞって、大岩の側に佇んでいると安心する。

しかし、新しいお堂はお姫尊の岩ギリギリに迫り、上の森は切り開かれて道らしきものが付けられている。荒い土木工事だ。大地の傷は植物たちが補修する。

岩の下で雨宿りしていたら、たちまちに霧が視界を遮り始めた。もうこの辺は本当に秋なのだ。春立つものは霞、秋立つものは霧。季節の気がダイナミックに変わっていくとき、天地の間で霧は生まれる。

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田畑の広がる集落がまぼろしのように向こう側へ消えていく。

霧は「ム」とも読み、夢や無や舞、撫、さらに冥、蒙などと通じて、蒙乱などの意味がある。宮澤賢治の『種山ケ原』は霧に閉ざされて夢うつつを彷徨う少年の物語だが、霧は隠すことによって、別の世界を見せてくれる。

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紫陽花も、ダリアも、蜘蛛の巣も、畑の岩も、水を吸って、細かな水滴に濡れ光り、小さな水の粒に別様の世界を宿し、振るえているから、迷い込んだら本当の事に触れてしまうかもしれない。それでちょっとだけ怖い。

お能の設定も、だいたい俄かにかき曇ったり、雨に降り籠められたり、旅のものが行く手を遮られたところから始まる。この世に生きるものが出会うのは同じように今生きているもの、そしてみんな背後にこれまでの生命誌を書き込まれている。鎮魂はここに思うものがいることを伝えること。しばしさ迷ってワキ方のように彼らの語りに耳を澄まそう。夏と秋の季節のあわいにお盆もある。

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