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榎本善紀【京楽産業社長】の年収、学歴、実績など徹底解明します。

2020年はまさに激動の年であり、パチンコパチスロにとっても大きな話題の多い1年です。パチンコは初めて遊タイムという、天井機能がついた遊び方が行えるようになり、パチンコの楽しみ方が大きく変わりました。パチスロは6号機に切り替わりつつあり、これまでの楽しみ方と大きく変わっており、多くの戸惑いを感じさせる状況になっています。パチンコもパチスロも変化を遂げる一方、新型コロナウイルスが蔓延したことでパチンコパチスロ業界は大きな打撃を負うなど厳しい状況を迎えている状況です。そんな中で何とか踏ん張りを見せ、成長を遂げようとしているパチンコパチスロメーカーがあります。それが京楽産業株式会社です。その京楽産業株式会社で代表取締役社長を務めるのが榎本善紀さんです。

榎本善紀さんの経歴

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京楽産業株式会社で代表取締役社長を務める榎本善紀さんは1968年、昭和43年9月27日生まれで、今年で52歳で愛知県名古屋市の出身です。榎本善紀さんの父親は京楽産業株式会社で現在会長の座に就く榎本宏さん、榎本宏さんが仲間とイチから作り上げたのが京楽産業株式会社です。2006年に榎本善紀さんが父親から社長の座を譲り受けた形です。最終学歴は愛知県立鳴海高校で、高校を卒業してからしばらくして京楽産業株式会社の関連企業に就職します。いきなり本社に入れるのではなく、京楽のことを理解させるところから始めて、1995年に京楽産業株式会社に転籍させます。榎本宏さんは誰に対しても厳しく接しており、それは息子に対しても同じでした。仕事に厳しく、そこで鍛えられた榎本善紀さんでしたが、結果的には若くして全ての仕事をやらせてくれるような、大変懐の深いお父さんだったようです。

社長になってからの榎本善紀さんの実績

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榎本善紀さんは2006年に京楽産業株式会社の代表取締役社長になりましたが、この当時は新しいパチンコ台をプロデュースする仕事をしていました。社長になるかならないかのタイミングでお披露目になったのが「ぱちんこ冬のソナタ」です。この当時、冬のソナタが爆発的な人気を誇り、現在まで続く韓流ブームの元祖となっています。その冬ソナをパチンコ台にするとあり、開発者側も冬ソナファンの気持ちになりきって作っていたそうです。実際に冬ソナのパチスロ台の開発が始まったのは2004年で、榎本善紀さんが副社長の時でした。「冬ソナファンに響くパチンコ台を作る」、これが榎本善紀さんから出てきた指令です。京楽の寮に集まり、冬のソナタを見まくり、1人1人がファンになっていくところから始まりました。紆余曲折を経て、最終審査に挑みますが、榎本善紀さんのゴーサインがないと合格にはなりません。過去には、時間をかけて作られたにもかかわらず、ゴーサインが出ずに再びやり直しを余儀なくされたケースもありました。今回は役物から演出まですべてがうまくいき、見事に合格し、ぱちんこ冬のソナタは大ヒットを飛ばします。
ぱちんこ冬のソナタに代表されるCRぱちんこ○○シリーズは様々なもので作られ、ウルトラマンシリーズ、仮面ライダーシリーズなど様々なものが登場します。原作ファンの気持ちを踏みにじらないよう、自分たちもファンになって原作を知る人でも楽しめるものを作っていくスタイルが確立されたこともあり、業績はどんどん伸びていきます。
もう1つ、京楽が生み出したP-フラッシュ、エアバイブも世の中に衝撃を与えました。大当たりが確定したときに出るP-フラッシュやエアバイブは一気に興奮させるものとなり、のちに他のメーカーもこれに近い仕様のものを出していきます。京楽が新たなパチンコを牽引していったといっても過言ではありません。京楽らしさはモアサプライズにあり、想像を超える驚きを与え続けた京楽、その陰には榎本善紀さんの妥協のないこだわりがあったのです。

榎本善紀さんが考える業界の未来

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榎本善紀さんは現在日遊協などパチンコパチスロ業界の団体で要職についており、パチンコパチスロ業界の未来を真剣に考える立場になっています。その榎本善紀さんが今真剣に考えているのが依存症に関する問題です。90年代などはパチンコパチスロへの依存症の問題が深刻になってきており、射幸性を抑えながらも多くの人に楽しんでもらえるようなものを作っていくことが長年検討され、しかしながら、その抜本的な解決には至っていません。スペックで抑えつける方法で射幸性を低くする形がとられるも、結果的にパチンコパチスロの魅力が損なわれる形となり、パチンコパチスロ離れが起きています。これを何が何でも避けたいのが榎本善紀さんの考えです。
まずやるべきはパチンコパチスロに関するルールを見直すことで、そのために要職について色々と変えたかった部分があったのかもしれません。京楽だけで努力をしようにもスペックがどうにもならないと話にならないからです。その一方、要職に就いてからこれらの問題を解決しようと動いてもなかなかその解決に至らない状況にやきもきする姿も垣間見えます。これから先、パチンコパチスロを行わない人たちからの民意を得なければ依存問題を含め、解決しないのではないか、そのように榎本善紀さんは考えています。
そして、パチンコパチスロに関する依存症の問題では、特に何の問題もなくパチンコパチスロで遊べている人たちすら失ってしまうような状況になっていることを痛感しており、健全なファンを業界全体で育てることも大切であると語っています。榎本善紀さんの世代やその下の世代が長い時間をかけて盛り立てていかなければならない、その重要性を痛感しているようです。

妻は伊東美咲

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パチンコパチスロ業界のことを真剣に考えている榎本善紀さんですが、2009年には女優の伊東美咲さんと結婚しています。伊東美咲さんの経歴を簡単に説明すると、1977年、昭和52年生まれ、5月26日生まれで現在43歳です。現在52歳の榎本善紀さんとは9歳差です。伊東美咲さんは福島県いわき市出身でしたが、その後大阪に引っ越し、短大を卒業します。この短大在籍中にスカウトを受け、現在も若い女性のバイブルであるCacCamのモデルに抜擢されます。その後、テレビや雑誌にも引っ張りだこ、テレビドラマにも出演するほか、大手の芸能事務所に所属していたこともあり、様々な方面で活躍し飛ぶ鳥を落とす勢いを見せます。
そんな榎本善紀さんと伊東美咲さんですが、最初に出会ったのはハワイでの結婚式でした。伊東美咲さんは2001年にドラマに出演しており、この時共演した植松真美さんの結婚式に参列しました。植松真美さんのダンナさんは、2020年に日遊協会長に就任することになった、パチンコホール日拓ホームの社長西村拓郎さんのお友達です。西村拓郎さんと榎本善紀さんもお友達だったため、参列することになり、ここで出会うことになります。そこで意気投合をした2人は、植松真美さんの結婚式から1年後にハワイで結婚式を挙げます。その後、2人は3人の子宝に恵まれており、現在はハワイで暮らしています。ハワイに移住してからはなかなかメディアに出てくることはありませんでしたが、先日久しぶりに事務所のYouTubeチャンネルに登場しました。今後質問動画なども公開予定になっており、榎本善紀さんとの話題が出てくるかもしれません。

年収が結構すごい?

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榎本善紀さんの年収はいくらなのか、誰もが気にするところなのかもしれません。京楽産業株式会社自身は株式上場をしているわけではないため、役員報酬なども公表されておらず、おおよその年収でしか判断できませんが、1億円以上はもらっている可能性が考えられます。もちろん京楽産業株式会社から役員報酬をもらっているケースもありますが、榎本善紀さんは京楽産業ホールディングス代表取締役社長でもあるため、そこでの報酬もカウントされる他、様々な場所で報酬をもらう機会があることから、これだけの年収になる可能性があります。今後は父親である榎本宏さんの財産を引き継ぐことになるため、これまで以上に年収が増える可能性も想定されます。一方で京楽産業株式会社は新型コロナウイルスの影響もあって売り上げが落ち込んでいるような状況になっており、役員報酬をカットしていてもおかしくはありません。そのため、多少の変動は間違いありませんが、社長の平均年収である1000万円以上は確実に超えているはずです。京楽産業株式会社は複数のブランドを立ち上げ、吉本興業との合弁会社があるなど、幅広い経営を行っている状況です。パチンコパチスロ業界は大変な時期を迎えていますが、経営体力がまだ残されている京楽産業株式会社はまだ恵まれているのかもしれません。

まとめ

榎本善紀さんの経歴や榎本善紀三の実績、これからやりたいことなどをまとめました。業界の未来を真剣に、深刻に捉えている様子は確かで、少しでも業界の成長と発展を考えようとする姿勢が垣間見えます。プライベートでも伊東美咲さんと結婚するなど順風満帆な様子が伝わります。日遊協などの業界団体で要職に就くのもその一環で、会社を任せられるような人物がいてこそのことです。京楽産業株式会社は、毎年魅力的な新台を世に送り出しており、話題を集めることはいともたやすく行います。その根底にあるのは、モアサプライズ、多くの人を驚かせたい精神があり、それを植え付けさせたのは榎本善紀さんです。娯楽を真剣に考え、吉本興業とタッグを組み、様々なアクションを起こし続けている京楽産業株式会社ですが、パチンコパチスロ業界が厳しい状況であっても、それに負けることなく前を向き続ける精神は立派であり、業界を背負って立つ人間として今後さらなる発言力、影響力の拡大が考えられます。

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