【第253回】『叫』(黒沢清/2007)

 黒沢清は『CURE』を撮ったことで海外では「マスター・オブ・Jホラー」などと呼ばれたが、その後どういうわけか『CURE』のようないわゆる猟奇殺人ミステリーを一切撮ることはなかった。おそらく日本でも相当数あっただろう『CURE』に近い何かを求める声を遮り、ホラー映画であっても『CURE』とは似ても似つかない作品を生産していく。例えば『降霊』ではその名の通り、降霊術をモチーフにした物語だが、一度死んだ人間が霊となって化けて出てくる怪談の様相を呈していた。刑事も一応いるにはいるが、あれはおそらく40年代のフィルムノワールの影響下で作られた作品である。

『アカルイミライ』でも、留置所内の守の自殺からほどなく、藤竜也とオダギリジョーの間に守の幽霊が何をするでもなく現れる。彼らにはその幽霊の気配を感じることはなく、我々観客だけが幽霊の姿を視認するのである。『ドッペルゲンガー』ではその名の通り、自分の分身のような存在は幽霊ではなく、ドッペルゲンガーである。永作博美の弟は開巻早々自ら命を絶つが、その後彼女の前に現れ、一生懸命小説の執筆をしている人物は、弟のドッペルゲンガーである。『LOFT』では古い洋館に移り住んだ中谷美紀が、隣の家に運び込まれる幽霊を目撃するところから始まる。しかしそこで起きた数々の不吉な出来事はそのミイラとは直接あまり関係がない。どうやら編集者の男がその屋敷で殺人を犯しており、殺された少女が化けて出て来ているのだとわかる。

このように常に黒沢清の作るホラー映画の内外には、幽霊らしき物体は出て来るものの、それらが直接攻撃を仕掛けてきたり、次々に人が死んだりすることはない。

今作では3つの殺人事件が起きる。東京湾岸地帯で“赤い服”を着た女の殺人死体が発見され、捜査に当たる事になったベテラン刑事・吉岡(役所広司)は同僚の宮路(伊原剛志)とともに犯人を追いはじめた。同様の手口による殺人事件が相次ぎ、連続殺人事件として捜査が進められる中、吉岡はそれぞれの事件被害者の周辺に“自分の痕跡”を見つけ、「自分が犯人ではないか…」という思いに苛まれ始める。彼の疑心暗鬼は日に日に悪化し、宮地は吉岡を疑い始める。

ここでは『CURE』の高部刑事のように、常に冷静沈着で現場叩き上げの凄腕刑事・吉岡がいる。彼は現場に急行し、殺人事件の痕跡となる物証を探るが、その過程で見覚えのあるボタンを見つける。部屋に戻って古いコートを探ると、そのコートのボタンはちぎれていた。その後警察の取り調べで、物的証拠とDNA反応とをコンピュータにかけると、照合率97%で出て来たのは、何と吉岡本人だった。

ほどなくして第二の殺人が起こる。息子を注射器で殺した医師の殺人の手口は1件目の事件と酷似している。海水の水たまりに顔を無理矢理つけて、窒息させ殺すという残忍なものだが、加害者は1件目の事件とは直接関係ないことがわかる。それどころか同一手口の殺人が互いに無関係に別の地点で複数明らかになる。ここで事件の全容は『CURE』のように不気味に苛烈さを極め、主人公の刑事はやがて追い詰められていく。

その事件の捜査と並行して、主人公の身の回りでは赤い服を着た女の侵入が始まる。最初に遭遇したのは事件現場となった湾岸エリアだったが、いつの間にか部屋にまで侵入し、彼に死の警告をする。この赤い服を着た女の描写は『DOOR3』の橋向こうの女が思い出される。葉月里緒奈の肌は幽霊のそれではなく、透き通るような白い肌が赤い服の裾から静かに覗いている。彼女は時折、空を飛びながら主人公を威嚇してくることもあるが、その足はしっかりと地面に着いている。この女がいったい誰の幽霊で、何を恨んでいるのか?それがわかれば事件の解決につながるのではないかと考えた吉岡刑事だったが、まったく思い出せない。

やがて加害者のある共通点を見つけ出した吉岡刑事は、真相究明のため単独でその地を訪れる。世界の崩壊を実感として予期した吉岡刑事は、自分の恋人である仁村春江(小西真奈美)と共に、「ここではないどこか」へ出ようとする。ここでも彼は無計画にどこか遠くとか海外かもしれないと嘯くのだが、彼女は黙ってその指令に従うのである。小西真奈美が演ずる吉岡刑事の恋人は冒頭の場面から登場するのだが、物静かで聡明で彼に寄り添うような人物として描写される。おそらく刑事である恋人のために、身の回りのことを手伝ってくれるこの女性は、彼の妻ではないが理想の女性である。女性は少し笑みを浮かべた後、静かに彼の部屋を立ち去る。

また一方で、事件の捜査の心的ストレスで情緒不安定になる吉岡を、優しく包み込むような包容力を見せる。吉岡はこの女性の膝枕で横になり、彼女の身体をゆっくりと抱きしめ、そっと押し倒すが、どういうわけかその時の彼女の表情は満ち足りたようにも、この世のものではないようにも見え、はっとしてしまう。思えば冒頭から彼女が登場する場面には、決まって吉岡刑事以外の人間は出て来ない。2人で外で会う場面でも、明らかにその場所が東京のどこかであるにもかかわらず、背景には人っ子一人いないことに気付く。その推測はあながち間違いではないようで、吉岡刑事が「ここではないどこか」へ行こうとトランク一つで彼女を誘い、ある列車の駅に着いた時、そこが駅であるにもかかわらず、まったく人の気配がしないのである。

それとは対照的に、吉岡の周りは常に人で溢れている。事件の捜査中も人で溢れかえり、下手したらアリバイを聞かれさえする環境なのだが、春江と一緒の時だけはそこに誰一人介在してこないのである。ここで春江と聞いて重要なことを思い出す。それは『回路』の登場人物の中で、小雪扮する唐沢春江の存在である。間宮や吉岡と同様に、この名前が何らかの偶然に過ぎないのだとしても、黒沢の中である種の傾向を示すキャラクターであることは明らかである。クライマックスの何もいないところを抱きしめる場面はおそらくリチャード・フライシャー『絞殺魔』への静かなオマージュに他ならない。

ここからは核心に少し触れるが、役所広司は物語の最初から彼女の存在を受け入れていたのではないかと考える。一見、ごく普通の猟奇殺人ものに見えた今作だが、15年前の忌まわしい過去が明らかになっただけで、事件は何一つ解決していないばかりか、有能な刑事が消えてしまう。彼女は最初からこの世ではないあの世に行ってしまった。その人間をこの世に留まらせ、どこか遠くへ行こうと役所広司は誘う。今作はいよいよ黒沢の死生観やあの世とこの世の意味、哲学がいよいよ世界の秩序に深い影響を及ぼし始めたきっかけとなる作品である。黒沢の語りは、『カリスマ』の頃のように実に難解で不明瞭である。

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