【第243回】『木霊』(黒沢清/1998)

 90年代後期の黒沢の作品は、短編においても明らかに水準が高い。私がその中でも特に推したいのはこの『木霊』である。今作は『廃校綺談』同様に、関西テレビの田中猛彦プロデューサーの紹介により、『学校の怪談G』の一編として制作された。第1話は前田晢、第3話は清水崇が監督を務め、黒沢は第2話の制作を担当した。

冒頭、トイレの磨りガラスをゆっくりと進んで行くシルエットが恐い。そこからゆっくりとカメラが後退し、トイレの全貌を明らかにすると、個室の一つにぼんやりと人影が映る。このタイトルバックの怖さが、来るべきエンディングの不穏な予兆ともなっているのである。主人公である優子(山口美沙)は同級生達から試されようとしている。それは彼女の持つ特殊能力である透視である。女子生徒2人と男子生徒2人が教室内にバラバラに隠れ、それを20分以内に全員透視出来たら優子の勝ちで、もし出来なければ負けである。その危険な実験を彼らは人気のない教室で行おうとしているのである。他クラスの生徒は全て帰り、普段恐い田島先生がまだ校内にはいるものの、その壮大な実験の手筈は整った。彼らはバラバラに教室に隠れ、主人公は透視を進めるものの、そこで彼ら以外にもう一つの怪しい物体を透視することになる。

この侵入者の描写が当時、非常に怖かった思い出がある。男子生徒が書いた教室の間取り図に、主人公が透視したメンバーの名前が書き込まれていく。宮下、有賀、瞳、漢字で書かれた彼女達の名前の他に、突然コンピューター室の余白が黒インクで滲み、その歪な黒色はやがて不気味な動きを見せ始める。点はパックマンのような動きで、静かにかくれんぼするメンバーを一人ずつ襲っていく。優子の目には彼らの動きが手に取るようにわかり、脳裏に映るのは我々がいま目撃している惨殺の光景に他ならない。正直、低予算でこれだけの限定されたアイデアで恐怖を演出した黒沢の才能にはただただ驚嘆する。黒い巨大な物体が教室に近づくと、カーテンは強風に煽られ、よかならぬことが起こりそうな気配が漂う。明らかにトニー・スコット的な衆人環視システムが出来上がった見事なアイデアである。透視しただけでは彼らを助けることは出来ない。生身の人間の身体ごとその場に行かなければ、悲劇の連鎖は繰り返される。

ここで登場人物達は黒い点に命を奪われ、床の黒いシミになって消える。これは明らかに後の『回路』の壁のシミに通じるあまりにも重要なアイデアである。ロウ・バジェットのため、墨汁を垂らして作られた簡素なシルエットではあるが、それだけでも観客には十分に人間が床のシミになってしまったことが伝わる。人は死んでも、身体はそこに残る。しかしながら幽霊の手にかかれば、身体すらも消えてしまう。永遠のシミとして残された儚さはあまりにも恐い。怖すぎる。

やがて和美は優子と別行動を取り、瞳を救おうと大講堂に辿り着くが、そこはもう田島先生の亡霊が授業を行う恐怖のクラスになりはてている。彼女は最初左側の出口に逃げ、行き止まりで絶体絶命の危機を迎えるが、首尾よく逃げ出すと右側の扉まで勢いよく駆け出していく。その彼女の後ろ側で、黒板の文字は「殺された」というダイイング・メッセージに姿を変える。その血文字で書かれたメッセージがあまりにも恐い。

辛くも田島先生の亡霊から逃げることに成功した和美だったが、かくれんぼのために逃げた仲間達は一瞬にして幻と消える。それどころか地図の上には赤文字のおどろおどろしい字で、それぞれの名前の脇に死と書き込まれている。和美は真っ先に優子の犯行を疑うが、やがて行き止まりに辿り着く。そこの壁にも幾重にも渡って「死」と書かれたダイイング・メッセージが見つかるが、これも後の『回路』で小雪が書いた無数の「助けて」に呼応する。

コンピューター室にさりげなく植えられていた植物はやがて太い根を張り巡らせ、天井を突き破らんとする状態にまで成長する。この場面にも明らかなように、今作は正しく『カリスマ』や『回路』のプロトタイプとして存在する。ラストに主人公が発する「ごめんね、私には止められない」という独白に、制御不可能な巨大な難敵と出会い、世界の崩壊を実感するこの後の映画の主人公たちの姿が幾重にも交差する。やっつけ仕事というと黒沢に失礼だが、今作ほど後の黒沢の流れを予感させた作品は後にも先にもない。『カリスマ』や『回路』の支持者は、予習として観ることを猛烈に勧める。

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