職業講話プレゼン

「COMOLY」開発に至った、僕の“ひきこもり体験”。

ご覧の皆様、こんにちは。メンバーの、釼持(けんもち)です。
前回の記事で、代表の山田からご紹介頂きました、元ひきこもりの友人です。
先日、NPO法人「楽の会リーラ」様(東京都/豊島区巣鴨)が定期開催しているイベントの中で、私が20分ほどプレゼン資料を交え、お話しさせて頂く機会がございました。
コミュニティカフェ「葵鳥(あおどり)」で定期的に催される“職業講話”で、20名ほどの当事者・家族・関係者の方々が、お集まり下さいました。
今回の私の記事は、その発表の中から、「COMOLY」開発に至った僕の経験として、発表した私の過去の“ひきこもり体験”について、お伝え致します。


その前に少々、COMOLYについてご紹介させて下さい。

まず我々の目的は、「ひきこもりの方々の“埋もれたしまった可能性”を引き受け、それらを実現させるパワーで、“社会にポジティブなインパクトを与える”事」です。

ひきこもりから抜け出す事(一般的なイメージの就労)は、もちろん選択肢の1つですが、最終的なゴールではありません。

COMOLYでは現在、“在宅で出来る仕事を受られる機能”“作品を共有するコミュニティ機能”がありますが、これらも、その為の選択肢に過ぎません。今後は、“業務のトレーニング機能”も追加し、各機能を充実させていく予定です。

◇◆私のひきこもり体験◇◆

発表資料から、私がひきこもり状態だった当時の全体像や経緯、改善に影響した要因をご説明します。

2020年2月9日職業講話のプレゼン資料.007

2020年2月9日職業講話のプレゼン資料.005

2013年4月、当時28歳で一人暮らしをしていた私は、大学卒業後の進路を決める事ができず、研究室でお世話になった先生方にも、家族にも誰にも、誰にも言えないまま、“社会に対する負い目”で苦しんでいました。

ひきこもり状態が始まり、一年ほどして、心配した母親が実家から訪ねてきました。その間、食事は必要なので、誰もいない時間帯に買いに行きましたが、歯はほとんど磨かず、強烈な痛みがあっても放置し、部屋は荒れ放題で、ゴキブリの巣窟と化し、精神的な面も含め、命に関わるとほど危険な健康状態でした。

母親の助けで、そこから実家に戻り、東京に移り住むまで、5年半ほどを過ごしました。生活面では大きな問題はありませんでしたが、生まれ育った実家で周辺の視線が気になり、相変わらず(以前よりも身近に迫る形で)“社会に対する負い目”で苦しんでいました。

外に出る事はなく、部屋で独り、様々な道を模索していた中で、2018年の夏頃、私の SNSでの投稿を切っ掛けに、山田くんから連絡があり、徐々に変わり始めました。そこから現在に至るまでの間、私はアプリ開発のスキルを身につけ、山田くんと共にCOMOLYをリリースしました。


2020年2月9日職業講話のプレゼン資料.008

ひきこもり状態になった原因として、私の場合、“社会に対する負い目”が、強烈な悩み・葛藤となっていて、これは、自分の青年期から引き続いていた、社会との様々なギャップから生じている部分があると思います。

このような“社会とのギャップから生じる悩み・葛藤”は、誰にでもあると思いが、私はそれが深刻化・慢性化する事が、ひきこもり状態に関わっていると考えています。

2020年2月9日職業講話のプレゼン資料.009

2020年2月9日職業講話のプレゼン資料.012

私の考えでは、人の悩み・葛藤が消える事は絶対に無いので、(上図のような4つの領域で)「バランスをとる事が重要」で、経験上、(ネガティブな)ひきこもり状態では、それぞれの社会・社会像の中で生じる悩み・葛藤の中で、否定する領域(左側)が強く意識されやすく、「非常にバランスが取りにくい」と感じます。

2020年2月9日職業講話のプレゼン資料.014

2020年2月9日職業講話のプレゼン資料.015

私の例では、友人である山田くん(信頼関係のある第三者)の関与と、実家の田舎から東京へ移住した事(生活環境の大幅な変化、これら2つがひきこもり状態から改善した要因として、強く関わっていると思います。

ひきこもり当事者の方々は、実際には家族や生活など、一人ひとりが違いますので、当然、私の経験が当てはまらない方もおられますが、皆様の何かの切っ掛けになれたら幸いです。

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