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アンパンマン展に行って来た話

みなさんこんにちは、COMOLY運営事業部の山田です。

新型コロナウイルスの影響により、各方面で影響を受けています。
COMOLYリリース記念の「ひきこもりを考える会」も3月5日から4月15日に延期しました。

現段階では、開催するかどうかも分からない状況です。とにかく早く終息してくれることを願うばかりです。

さて、表題の通り、先月名古屋に出張に行く機会があり、たまたま時間があったので、名古屋市博物館で開催されていた、やなせたかし「アンパンマン展」に行ってきました。

ちょうど幼稚園や小学校の頃、アンパンマンをTVで見ていたのを思い出します。私はスマートでカッコよくて、モテモテの「食パンマン」が好きでした。しかし、大人になってから、「こむすびまん」だとよく周囲から言われます。ちなみに小学校のときに付けられていたあだ名は「ミニミニマン」です。

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アンパンマン展でいくつか書籍を購入し、読んでみると、アンパンマンが生まれた背景や、やなせたかしの人生、平和に対する想いなど、色々な発見があり自分の感想を踏まえて、以下記載したいと思います。

正義のヒーローあんぱんまん誕生

アンパンマンが初めて登場するのは、1969年「PHP」という雑誌で、童話として登場したのが始まりです。

最初は自分の顔を相手に分ける、現在のアンパンマンではなく、パンを焼くおじさんが困っている人にアンパンを配るという設定でした。それが下記です。顔もハンサムでもないし、中年太りしていて、正義のヒーローという感じはしないですね。

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結果このアンパンマンはどうなかったというと、世界各地からスーパーマンやバットマンなどが一同に集まるヒーロー会議が開催されたときに、アンパンマンも正義のヒーローとして参加しようと飛んでいたら、未確認飛行物体だとうことで、撃ち落とされてしまいます。生死については分かりませんが、なんとも悲劇的な結末ですね。

その後、1976年に絵本「あんぱんまん」が登場します。パンを配るという設定よりも、パンそのものが飛んでいて、そのパンを誰からに分ける(食べられる)という設定の方が面白いという理由で、このような原型になったみたいです。

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ただ、当時、児童が読む絵本で自分の顔を食べられるというのは、かなり批判もあったみたいです。

「顔をちぎって食べさせるなんて残酷です!」
「こんな絵本はもう描かないでください!」

実際にこんな感じで、読者(子供の母)からの手紙が来たそうです。しかしやなせたかしは、アンパンマンの設定や世界観を頑なに変えず、自己犠牲のヒーローを描き続けました。


あんぱんまんが幼稚園や図書館で人気になる

大人にとっては非常に不評だったあんぱんまんでしたが、4〜5歳の幼児からジワジワ人気が出始め、幼稚園や図書館でボロボロになるまで読まれるようになりました。

それに目をつけた当時のアニメの制作担当者です。局内で「アンパンマンをアニメ化したい」と企画を持ちかけたが、当初は実現できなかったそうです。ウルトラマンやゴーレンジャーのように怪獣を倒していく姿で無いので、子供たちの間で好かれないだろうとの意見でした。

1988年についに「それいけ!アンパンマン」がTV放映開始。その後はご存知の通り、国民的なアニメになり、現在まで続いています。

この時に、やなせたかし69歳、アンパンマンが誕生してから、19年経っていることが分かります。

アンパンマンのヒットの裏にバイキンマンあり

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アンパンマンに登場するキャラクターで欠かせないのが、バイキンマンです。

バイキンマンは、やなせたかしがアンパンマンという主人公を際立たせるために悪役として誕生したキャラクターです。

アンパンマンは自己犠牲を伴わないヒーロー、バイキンマンは、自己の欲望のまま行動する悪役という設定です。

人間にも善と悪、光と影の面があるように、アンパンマンでも二面性を描いています。

ばい菌は食品の敵ではあるけれども、パンは菌(酵母菌)が無いと作れません。そうバイキンマンは敵だけど味方、味方だけど敵というアンパンマンの中でも「共生関係」を築いています。

この共生関係はアンパンの中で非常に深い意味があり、結局みんな仲間なんだということを伝えています。

またアンパンマンは他のアニメのキャラクターと違って、弱いイメージがあります。顔が濡れてすぐに動けなくなるし、顔を分け与えると、そもそもパワーが無くなります。その度に、周りのキャラクターがアンパンマンの顔を持って来て、助けてくれる。周りから助けられるヒーローを描いているんですね。

アンパンマンは、やなせたかしの弟がモデル

やなせたかしの弟は、戦争で亡くなっています。弟は非常に優秀で、京都帝国大学(現:京都大学)へ入学し、学徒出陣で戦争に召集。最後は、自ら志願して、「回天」という人間魚雷(特攻)によって命を落とされました。

戦争で弟を亡くしたことは、やなせたかしの人生の中で最も辛い出来事だったそうです。

やなせたかし自身も、軍隊に召集され六年もの間、中国大陸で戦争を経験しています。極度の食糧不足での飢えや戦争の不条理さを目の当たりにし、食べられることの大切さや、戦争の無意味さを説いています。

色々感じたこと

やなせたかしは絵本「あんぱんまん」がヒットするまでは、なかなかヒット作に恵まれず、苦労されました。

ラジオやテレビの脚本を考えたり、詩集やイラストを書いたりして、お金の面では困らなかったみたいですが、代表する作品が無いまま、漫画家として相当苦悩があったみたいです。

やなせたかしの人生をみると、人は晩年になって成功した方が面白いのでは無いかと思います。世間では、若い時に成功することを目指す人が多いですが、失敗や挫折、苦労などを経て、歳をとってから成功する方が、人生が味わい深いものになるんだなーと感じています。

アンパンマンが国内外でこれだけ愛されているのは、やなせたかしの人生哲学そのものを表現しているからだと思います。

やなせたかしやアンパンマンに対して興味があれば、是非この2冊の本を読んでください。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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