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2030年のわたし

8年後、27歳の私が、まともな人間関係の中で健やかに過ごしていますように、と願う。

20歳の誕生日を目前にして、既に世界がひっくり返ってしまうような絶望をいくつか味わっている私は強いはずだ。贅沢は言わないから、もう良いことしかないと思うくらいのことは許してほしい。

今の充実した生活と素敵な人間関係が持続していますように。呪いから解放されていますように。

私の人生の最初のピークは奇しくもちょうど8年前の12歳までであった。中学受験の失敗を引きずり、中高一貫校での自分としてはパッとしない6年間を過ごした。

パッとしていないことが他の人にも伝わったのだろう。中学3年生のある日、授業崩壊していたクラスで「授業を受けたい」と正義感を振りかざしたことを発端として、当時のクラスメイトだった男女複数名からの高校2年生まで続く執拗な嫌がらせに遭った。

授業中の教室を紙飛行機が飛び交い、不味いお菓子をわざと食べては大騒ぎして授業の進行を妨害する生徒が野放しにされている状況に我慢ならなくなり、思わず悔し涙が溢れた。

始業式の後の3時間目の大好きな現代文の時間だった。教室を飛び出し、体調が悪いと嘘をついて、人生で初めて保健室でズル休みをした。

4時間目と昼休みを教室の外で過ごし、5時間目に教室に戻ると、「すみません」と小さな文字で黒板に書かれていた。社会の先生がその文字を消してしまうまで、私はその文字に対して無視を決め込んだ。

悪ふざけのように投げかけられた「紙飛行機投げてごめんなさい」というクラスメイトの言葉に対しても「謝ってほしいんじゃない」としか言えず、ただ態度を改善してほしいだけだ、という趣旨を伝えることは叶わぬまま、「紙飛行機が当たっただけで泣いた、クラスメイトの謝罪も受け入れない、大袈裟で空気の読めないヤバイ奴」という私の悪評だけが学年中に独り歩きした。

私が嫌がらせに遭ったのは「大人の対応」をしなかったからだ、と当時の担任は言った。確かにその通りだが、あの時の私には授業中に飛んできた紙飛行機に対して怒りの声を上げることが正しくないと疑うに足るだけの人生経験がなかったのだ。結局、私の机を汚いもののように扱うクラスメイトの姿を見て心が折れた。

中学校の卒業式を目前にした3月、私は理不尽に対して白旗を上げてしまった。ボイコットという名の不登校期間はたったの1カ月にも及ばなかったが、断続的な悪口は高校2年生まで続いた。

この経験は私にとってある種の呪いとなった。私の正義は間違っている。私の性格は歪んでいる。私の価値観は間違っている。私の存在価値は不安定である。私は誰にも必要とされない?

最近では解けつつあるこの呪いも、時折顔を覗かせては私の自信と自己肯定感を削っていってしまうことがある。

中高時代の人間関係から解放され、大学に入って新しい世界に足を踏み入れたことによって、私の正義も正しい、私の性格も正しい、私の価値観も正しい、私は誰かの役に立てて、自分には価値があると疑わなくなった。それでも時々、ほんの少しだけ不安になってしまう。

2030年。そんな呪いがあったこともすっかり忘れて、幸せに過ごしていますように。今でも大丈夫な私が、もっと大丈夫になっていますように。

                  text/こころ

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