『119』
―ピー、ピー、ピー
無機質に流れる点滴や様々な医療機器の機械音。
不穏?又はせん妄状態の患者の声。
隣の患者の賑やかな寝息(いびき)。
静かな空間に混ざり合うその音たちは、私を不安にさせるには十分過ぎるほどだった。
私は、1月18日の火曜日、とある、解熱鎮痛剤でODをした。
300mg程配合している錠剤を全部で数十錠、のんだ。
のんでいる間はもう無我夢中で、それ以外何も考えられなかった。
5錠ずつ、プチプチと薬包(薬を包んでいるシート)から出してのんでいく。抹茶オレでのんだそれは、甘くて苦くて、なんとも言えない味がした。
数十錠のむのは、あっという間だった。
やってしまったあと、なんてことをしてしまったのだと後悔に苛まれていた。
後悔に包まれつつも、その足が向かったのは健康管理室だった。
無意識的に、自分を守ろうとしていたのかも知れない。そこからは、怒濤の時間だった。
まず、かかりつけの病院(精神科)に電話したところ、無機質な声で、“それは精神科では診られないので、身体の状態を診てもらえるところに行って下さい”と言われた。
そこから、父親へ連絡が行き、時間的にも遅かったことより、健康管理室の先生と一緒にアパートで父親を待つこととなった。
その後、父親が到着し、救急相談に相談したところ、医療機関のリスト?を読み上げてもらい、片っ端からそこにかけたが、どこも対応してもらえなかった。
「どこも今は忙しいんだね」父親が言った。
「そうだね」と私が答えた。
暫しの間、沈黙が流れた。
「どうしようか」「どうしようね」
…。
暫しの沈黙の後、父親が言った。
「もう119かけるよ?」
「嫌だ」
「だってもうそうするしかないじゃん?」
「…はい。せめてサイレンなしにして」
今思うと、無謀なことを言ったなと思うが、当時の私にとっては最大限の譲歩だった。
そうして、救急車で二件の病院を回り、今に至る。
冷静になった今、思うことは、生かしてくれたことへの感謝でもなければ生きてることの喜びでもなく、“生きててごめんなさい”だ。
この病棟にいると、自分の意図しない形で病気になってしまい、治療の日々を余儀なく過ごしているたくさんの人に出会う。
その人たちは、ただひたむきに生きている。
その背景に何があるかなんて知る由もないが、みんな一生懸命生きている。
そんな中で、自らを傷つけ、その結果としてここにいる私。
ここにいていいのだろうか。
激しく悩む。
その結論として出た考えが、“生きててごめんなさい”だ。
なんなら、もっと沢山のんで死ねば良かったとさえ思ってしまっている。
こんな私は、きっと生きるのに向いていない。
某アーティストが歌う歌のようだ、ふと思った。その歌では、最終的に、“生きろ”という強いメッセージが歌われている。
私は、生きていて良いのだろうか。
誰に問うても、その答えは出てこない。自分自身で見つけていくしかない。
きっと、人生における一つ一つの出来事というのは、それを見つけていくための長い長い物語の一部なのだと思う。
きっと、今回のこの出来事だってそう。
何か、大切なものに気付かせてくれるために起きた出来事だったのではないか、私はそう思う。
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