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死神

死神は、多分いる。

6歳の時、目の手術で1週間入院した。生まれつき重度の斜視で、手術しないと失明すると言われていた。全身麻酔でとてもつらくて怖い、一生したくない経験だった。麻酔が効きやすい体質で、通常より身体に負担がかかってしまっていたらしい。

小児病棟は個人部屋が埋まっていて、4人部屋に入院することになった。向かいのベッドは、腎臓病。隣のベッドは耳の病気。斜め向かいは、心臓病だった。3人とも歳上で私よりも入院生活が長く、病院の先輩だった。

大きくなって母から、腎臓病の子はベッド代が払えなくて、病院を追い出されそうになる程困窮した状況だったと聞かされた。
そんなことを知らない私は、彼女たちとすぐに仲良くなった。本来なら1ヶ月以上入院しないと行けない院内学級も、彼女たちの計らいで通うことができた。

私の退院前日、腎臓病の子が集中治療室に入った。残った3人でお見舞いに行った。自分の病気が完治した私は、腎臓病の子もすぐに治ると思っていた。永遠の別れだなんて、思ってもみなかった。

私が退院する日、腎臓病の子の荷物が片付けられた。私たちの病室に重い空気が流れた。死神が迎えに来たのだ。

17歳で、斜視が再発した。また全身麻酔で手術することになったが、もう吐いたり幻覚を見たりしなくなっていた。

重度の障がいを持つ人は、成人していても小児科に通う。同室になった、インフルエンザから肺炎を発症して入院した女の子も、そうだった。流石にもう院内学級にも行けないので、彼女の母親、姉と仲良くなり他愛のない会話をするようになった。

障がいを持つ子にとって、肺炎は命に関わるものだという。これまで何回も発症していて、一度は死の淵に立ったこともあったそうだ。

そんな彼女の方が、先に病室を出ていくことになった。母親が転院することになった、と私に挨拶に来た。京都大学で、有名な教授の臨床実験を受けることになったという。治療するのは肺炎ではない。障がいだ。母親は、治る見込みがとても高いと語った。

「障がいがあるうちにこの子と友達になった、最後の人だね、のあちゃんは」

一言一句間違いなくこう言った。
「えー、よかったです」と返した。死神が、道を引き返したのだ。

生きるのが嫌になったことは何度もある。
家の屋根まで登って2時間飛び降りようと迷ったこともある。しかし、その度に私は生きることを選択した。生きることに希望を感じたからではない。ここが、私の寿命ではないと思ったからだ。

斜視手術のおかげで出会った彼女たちも、自分自身の選択で死んでいって、生きていったのではない。寿命は決まっている。寿命が来たら迎えに来る死神は、多分いる。それまで目の前のことをこなすということが、生きるということなのではないか。
生きていきたくない日には、そう考えるようにしている。
                  text/乃彩

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