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わたしの父は犯罪者です。人を傷つけました。何度か窃盗を行いました。
そんな自分に耐えられなかったのか、父は自ら命を絶ちました。

とても真面目な人だったのです。窃盗も傷害も、そういう病気のせいだったのだということは、父が亡くなってから初めて知りました。

父が罪を犯して捕まった時も、わたしたちのことを考えて両親が離婚した時も、父が行方不明になった時も、わたしは泣けませんでした。いつもなら大号泣してしまうお葬式で、父の姿を見ても「いつもみたいに寝てるなあ」としか思えませんでした。

わたしに宛てられた遺書を読んで、また大袈裟なことを書いているなと思いました。「自慢の娘」という言葉には、ならもっと生きて自慢してくれよ、とちょっとだけ思ってしまいました。

この12年間、父の仕事の関係で、一緒に暮らしていませんでした。月に1回、忙しい時は半年に1回だけ家に帰ってきて、家族みんなで過ごしました。わたしが大きくなってからは、父が1人で暮らしている家に遊びに行ったりもしました。

文通をするのも、1人で新幹線に乗るのも、夜更かしをしてアイスをいっぱい食べるのも、全部父にもらった、きらきらした、大切な思い出です。
だからこそ、父が死んだと知った途端に、大人たちが発する「かわいそう」という言葉を聞くのが嫌でした。だから、父がいないということを隠して生きてきました。

ちょうど1週間くらい前のことです。成人式の前撮りの話になって、「お父さんももちろん来たでしょ?やっぱり泣いてた?」と友人に聞かれました。

もちろん来ていません。だってもういないのだから。でもバレてはいけないと、咄嗟に「うん。ずっと泣いてたよ。」と嘘をついてしまいました。

家に帰ってから、わたしはずっと嘘をついていかないといけないんだなと、虚しくなりました。それと同時に、これからのわたしの人生に、父は登場しなくなるのだと、初めて実感しました。

ヴァージンロードを一緒に歩いてくれると約束したけれど、それも叶いません。父とのLINEのトーク画面も、一生動かないのです。

2021年1月24日、20時18分に送ったメッセージには、今も既読がつきません。もう使われることはないトーク画面なのに、わたしは今でも削除することができないでいます。もう父は過去の存在なのだと理解して、わたしは初めて泣きました。

多分この先も、わたしは嘘をつき続けます。父がいないことを告白しても、自死を選んだことは言えないでしょう。これからも、父と歩むはずだった未来を思い出して泣くと思います。

でもいつか、それも全て、父との大切な思い出の一部にできたらいいな、と願っています。
                                                    text/きり

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