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屋久島に学ぶ、リジェネラティブライフに必要な価値観とは?

川に足を運び、川と一体となり、川の調子を見ながら、水をいただく。そんな流域での暮らしを体現した「琉球藍染」の手仕事から学ぶ、リジェネラティブライフに必要な価値観について考えてみたい。


屋久島で展開中の流域プログラムとは

2023年7月10日月曜日。梅雨開けも間近な屋久島の朝9時。
Moss Ocean House代表兼、流域プログラム発足人の今ちゃんの声掛けで、Sumu Yakushimaのゲストと、屋久島島民たち、そしてイタリアと和歌山からのインターンシップ生総勢10名ほどが集まり、流域プロジェクトに参加した。

流域プロジェクトとは、Moss Ocean HouseおよびSumu Yakushimaが位置する、屋久島南方の高平集落、小田汲川周辺を「流域」という単位で捉え、流域全体の衣食住を含む暮らしの営みを、リジェネラティブ(環境再生)の観点で再構築することを試みているプロジェクトである。

今回は、流域に属する、草木染め手織り工房「そらのあお」さんが、今年の藍染液を仕込むということで、筆者もご一緒することになった。流域プログラムでは、「地消地産」を掲げており、流域で必要な衣食住(地消)は、流域で作っていくこと(地産)をモットーとしている。そのため、これは暮らしに必須な「衣」に関わる、とても大切な取り組みなのである。

草木染め手織り工房「そらのあお」さんに訪問

出発前。今ちゃんが、私達に鎌を渡し、Mossの裏庭に案内してくれた。これから色素を出すための琉球藍を刈るのだという。数年前にほんの少し植えたものが、あっという間に畑のように群生しているのだとか。屋久島の気候に合うのだろう。テカテカした葉っぱを上から30センチあたりで刈り取り、両手で抱えきれない位の琉球藍を獲得してゆく。
屋久島では、いろんなものが土から直接調達できる。ハーブティーが欲しければ庭から刈って来るし、物干し竿を新調したければ、裏庭で竹を刈るのである。

ザクザクと乱雑に刈っていく私に、Sumu Yakushimaのメンバーが「手で握っ
て、しなるところを切るのよ」と大地の再生スキルの一つである、草刈りの方法を教えてくれる。土壌を豊かにするためのスキルだ。ここでは草一つ刈るのも勉強になる。

Moss Ocean Houseの裏庭で琉球藍を刈る今ちゃん

大地から琉球藍をたっぷり頂いたら、車で2分ほどの場所にある「そらのあお」さんに向かう。ご自身で染めた染め物を身にまとった、きょうこさんが、温かく、私達を出迎えてくれた。実家に帰ってきたような空気感に、心が和む。早速すぐにバケツリレーに入るのかと思ったら、工房の中を開き、藍染の工程がどういうものなのか、見せてくださるという。

発行された藍の液がつまった壺を見せてくれるきょうこさん。藍が残る手はまさに職人。

「藍は空気に触れると酸化して色が変わるのよ」と、事前に染めておいた布を実際に見せてくれるきょうこさん。取り出した布を屋久島の光と風にさらすと、それまで濃い緑色だった布がみるみるうちに、鮮やかな青に変わっていく。魔法のようだ、と参加者から感嘆の声が漏れた。

見ててね、と言いながら酸化する過程を見せてくれるきょうこさん
そしておもむろに工房のすぐ脇の川に降り・・・
屋久島の飲める川の天然水で贅沢にじゃぶじゃぶ。

すっかり青くなった布を持って終わりかと思いきや、工房すぐ脇の川に降りていき、すすぎの作業に入る。今の時代は、藍色を出すには化学薬品で染めるのが一般的なため、大量の水を汚染してしまう。ファッション業界では周知の事実だ。だが、この昔ながらの藍染法では、化学薬品を一切使っていないので、自分たちの飲水にもなる大切な川でも、気兼ねなくすすぐことができる。ここで灰汁を取り除くと、布は更に鮮やかな青色になった。
「藍染はね、水道水で染める液を作ると、カルキのせいで発酵しないのよ」と京子さん。屋久島の水道水ではカルキは微量しか入っていないが、そんな水でさえ、微生物がうまく働けなくなってしまうのだという。私達の体にも沢山の微生物が住んでいるのだから、普段なにげなく飲んでいる水道水の重要性を考えさせられてしまう。

藍染めに必要なコミュニティのちから

この美しい藍色は、屋久島の天然水でなければ出ないのだと聞いたところで、私達の出番だ。この流域を支える川から天然水をバケツリレーし、巨大バケツの中に入れた藍の葉っぱがひたひたになるまで、水を入れるのである。大の大人がチームでやればすぐ終わる作業だが、これを女手一つでやろうとしたら相当な労働だろう。きょうこさんも「やっぱり大人数でやると早いねぇ」と笑顔が溢れる。「昔は、こういう作業を地域のコミュニティで担ってきたこともあって、染め物ができていたのでは」と今ちゃん。かつて屋久島にも、こんな風に、自分たちの生活を支えてくれる川から水を汲んで、衣服を染めたのだろうか。

このバケツいっぱいに水を入れる。大量の琉球藍!

一列に隊列を組み、大人6人が配置につく。そして、久々のバケツリレーを子どものように楽しんだ。正直、ここに来るまで、水汲みなら電動ポンプで済むのではないか?と少々思っていたが、みんなで作業すれば短時間で完了するこの作業も、終わった後は、はじめまして、の方が半分いる中にもかかわらず、思わずハイタッチしたくなってしまうほどの達成感と一体感を感じられた。効率的ではないかもしれないが、みんなでワイワイ作業するこの時間そのものが、人の心の豊かさやコミュニティを作っているのではとハッとさせられる。
出来上がったバケツを覗き込むと、あっという間に川の水はエメラルドグリーンに染まっていた。重しになる石を適当に見繕い、キレイに洗った後にバケツに沈めて作業は完了。あまりの美しさに息を呑む。

屋久島の水に琉球藍の色素成分が滲み出る。加工なしでこの美しさ。宝石のように煌めいている。

裏では薪チームも活躍。この後、色素が沈殿した泥藍を発酵させる際に必要になる、灰汁を作っていた。もちろん薪は、流域で拾ってきたものだ。
(今回は流域プログラムとしての藍染の話にフォーカスするために、藍染の工程の詳細については省くが、たとえばこちらのサイトがわかりやすく説明していると思う)

イタリアからのインターン生、ジャダが、グツグツ煮込み中。魔女のようだ。

流域で暮らすことで変わる価値観

一方で休憩組は、川に身を浸して、今後の流域プログラムについて対話を進めていた。川の上を渡る風が、とても心地よい。
この頃には筆者も、流域プログラムで目指しているものが、ただ、目に見えるものを作ればよい話ではないのだ、ということに気づき始めていた。たとえば藍で染め物をする営みが成立するには、そもそも藍が育つ土が必要だし、共に季節の作業をするコミュニティが必要だということ。そしてコミュニティが作られるには、一人ひとりの働き方を含む、ライフスタイルの変化が必要で、そのためには何を選ぶかという価値観の変化が必要なのだということ。それはたとえば、季節の手仕事が必要な時に、ときにはPC越しの仕事を手放して、ローカルなコミュニティと衣食住を生み出すことに時間を使うことを選べる価値観だ。

おもむろに、今ちゃんが、川の水をすくって飲んだ。驚きの声を上げる筆者に、「自分たちは、この川の上流に何があるか知っている。だから、この水が飲めることもわかる」という。

おそらく合成染料で染められ、自分の知らない何処かの川の水を汚しているであろう自身の服を、まじまじと眺めながら、飲める川の水に、足を浸す。
私は今まで、こんな風にどこかの川と関わったことがあっただろうか?私も、こんな風に、自分の川だと思える流域で、川と関係性を持って暮らしたい。そんな思いが、脳にしみじみと染み渡っていく。

「地球が熱いことをなんとかしたいと思うなら、砂漠で話すのが一番実感が湧く。流域をなんとかしようと思うなら、オンラインで話すのではなくて、その川に身を置いて話すのが一番いいよね」今ちゃんがぽつり、とつぶやく。

ふと、今日、PCを閉じて、この場所に来ることを選んだ自身を振り返る。リジェネラティブなライフスタイルというものに、おそらく答えはない。ただ、流域の繋がりに心を配り、意図的な関係性を築こうとする心構えは、きっとその根底に必要なものなのだ、という確信のようなものが芽生えた。

文字通り、自分たちの暮らしを支える命の川に、身を浸す。この感覚はきっと、流域での暮らしを体験しないとわからない感覚だ。

そんなこんなでゆったりした時間を過ごしているうちに、本日の藍染め準備は終わり、また、数日後に集まることを決めて、「そらのあお」さんを後にした。

人と流域との関係性は、神社とのそれに似ている

ふと、流域に寄り添って生きるということは、なんだか神社に手を合わせながら生きることに似ている、と思った。隣で涼む美波さん(和歌山で観光ガイドを営み、Moss Ocean Houseでインターン中)にそれをつぶやくと、彼女が頷きながら返す。
「昔は、きっとそうだったんですよね。自分の流域の神社を大切にして暮らしていたのかも。でも今は、自分の暮らしとは関係のない場所で、ご利益を求めて神社を巡ったりしますね。神社も経済活性のために人を呼びたいから、わかりやすいご利益を謳っているし」
確かにそうだ。なんなら筆者もそこに今まで違和感を持ったことがなかったくらいだ。

最後に、今ちゃんが、みんなで川に行こうと言う。川開きの儀式をするらしい。近くの川に出かけていき、流域の海で取れた海底湧水でできた塩と、屋久島のお酒を持って、屋久島の歌「まつばんだ」を捧げる。勢いのある清水の音の隙間から、今ちゃんの抑揚のある歌声がかすかに聞こえてきた。

「屋久のお岳をおろかに思うな 蔵の宝より なお宝」
(意訳:屋久島の山々の自然を疎かに思ってはならない。どんな財産よりも大切な宝なのだから)

厳かな儀式。川上と川下に手を合わせ、「まつばんだ」を捧げる

リジェネラティブなライフスタイルの旅路は試行錯誤の途中ではあるが、屋久島の自然に対する態度を謳う、このまつばんだがやはり、屋久島には一番似合うのかもしれない。

流域プログラムは、まだまだ続いていく。これからの気づきも、また楽しみだ。
(著作:須藤)


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