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鞆の浦に移住して2年。まちに対する時間軸の変化。

こんにちは。コト暮らしの長田です。
2月末で、鞆の浦へ移住して2年が経ち、3年目へと突入しました。

「移住して2年経ったんですよ〜」と、まちのひとに話すと「まだ2年しか経ってないの!?もっといるイメージあるわ〜」と返されることが多くて、鞆の浦暮らしの濃密さを物語っています。

昨年も1年経ったタイミングでnoteを書いたので、今年も暮らしの振り返りとしてnoteを書いてみようと思います。

※昨年書いたnoteはこちら


場をひらき、やりたいことが明確化した1年

2年目の大きな変化といえば、古民家カフェ「ありそろう」を運営してきたことが挙げられます。

先日、会社のnoteでも書いたのですが、この場をひらくことで、まちの関わりが増えて、より鞆の浦の一員感が増しました。

これは個人的な感覚ですが、移住したての頃よりも圧倒的に、まちで活動する自分たちの姿がイメージしやすくなったんです。「当たり前だろ!」というツッコミが飛んできそうですが、身体感覚的な意味での実感が持てるようになりました。

だからなのか、1年目よりも「このまちでこれをやりたい!」が溢れてきた2年目だったなと思います。

具体的には、パン屋がやりたい!銭湯をつくりたい!鞆の浦の雑誌をつくりたい!など。まちに空いている余白を埋めるかのように、内から溢れてくるものがありました。そして、少しずつ理想を現実にすべく、可能な範囲でアクションをとっています。

銭湯をつくるために、銭湯スクールを企画運営してみたり。

鞆の浦雑誌をつくるために、友人のライターとカメラマンに来てもらったり。

きっと、最初からやりたいことがなかったというわけではないと思うんです。ただ、まちのことを知らないままで、やりたいことばかり口にすることを怖がっていたのかもしれません。

それが少しずつまちのことも理解できてきて、自分たちのことを理解してくれるひとが増えてきている実感もあって、自分たちがまちで活動する絵も見えてきて、ようやく恐れを感じずに胸を張って言えるようになりました。

そんなことからも、改めて僕自身が「そのまちで暮らすということは、コミュニティに入っていくという意識が強い」ということを実感しました。すでにそこにいる方々には、ちゃんとリスペクト持って関係性を築いていきたいなと。


このまちで何年先の姿まで描けるのか?

これはよく移住系のイベントに登壇するたびに話していることなのですが、最初鞆の浦に来た時は「自分たちとまちが合わなかったら、もう一回移住すればいい」と考えて、移住という一歩を踏み出しています。

良くも悪くも、このまちに自分たちが何年先までいるのか?自分たちでも想像がついていませんでした。

じゃあ今明確に描いているのか?というと、そういうわけではありませんが、最近夫婦間で話すのが「10年はこのまちにいるかもしれないね」という言葉。

10年。
移住したときが、31歳だったので41歳まではいるかもしれない。30代を鞆の浦に捧げるということになります。

なぜ10年なのか?ということにはいくつか理由はあって。

一つは、息子の存在です。
息子の義務教育期間など、コミュニティに変化を訪れるタイミングを考えると、10年あたりが一区切りになりそうです。

もう一つは、まちの変化を見届けたいから。
これまで活動していきているローカルプレイヤーのみなさんの姿を見ていると、自分たちがやっているまちの活動の手応えを感じられるまでに10年ほどがかかるのではないか?と思ったんです。そのぐらい、まちは複雑で、長期的な取り組みだということ。

今後、僕たちの活動は、どんどんローカルに重心が置かれていくと思います。そうなった時、自分たちがやってきたことの意味を確かめたい自分も出てくるのだろうなと。


同時に片足を外に置くバランスも大切にしたい

上記の話とやや矛盾したように感じるかもしれませんが、「片足ローカル、片足は外に」のバランスがちょうど良く感じています。

まちに根を下す活動は、きっとどんどん増えていくはず。構える場の数も増えていくと、現段階では考えています。

その一方で、さまざまな地域に足を運び、まちの外にある社会をしっかりと向き合う僕らでありたいなと思うんです。

それは、客観と主観のどちらも併せ持つ在り方が、僕らという役割を発揮することに直結するという感覚があるから。

具体的には、鞆の浦というまちのことだけを愛するひとはすでに溢れるほど存在していて。そんなみなさんの愛を、よりいい形にしていく編集者的ポジションが我々なのかもしれないなと。

だとした時、鞆の浦に全体重を乗せるのではなく、片足は常に外に置いていて、さまざまな資源やリソースを繋いだり、流れを生み出したりすることに意味があると思いました。

大前提として、僕ら自身、そのぐらいのバランス感覚が心地いいというのはあったうえで。


最後に

ということで、鞆の浦3年目も楽しんでいきたいと思います。すでに、どんどん楽しくなっています。

鞆の浦雑誌をつくるプロジェクトで、ライターの阿部さんに言われた言葉が「鞆の浦というホームを得られたことで、これまで培ってきたものをすべて使っている印象を受けたよ」でした。

それだけ、自分たちという存在と鞆の浦というまちが接続できているんだなと思いましたし、楽しめている大きな要因だなと理解できました。

よそ者の僕らが何ができるのか?引き続き探求していきたいと思います。

それでは!


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