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東京から鞆の浦へ。今移住を選んだ理由

こんにちは。
コミュニティフリーランスの長田(@SsfRn)です。

突然ですが、今年の2月末で7年間以上過ごした東京を離れ、広島県福山市にある「鞆の浦」へ移住することが決まりました。

僕ら家族も、まさかこんなに早く移住することになると思っておらず、おそらく一番びっくりしている人たち is 長田家です。

今回は移住の報告と、なぜ子どもが生まれたばかりのタイミングで移住することになったのか?今後なにを考えているのか?をまとめてみようと思います。


鞆の浦ってどこなの?

まず、そもそも「鞆の浦」というエリアがどこなのか?という話から。鞆の浦は広島県福山市の中にある港町です。

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福山市は移住者が多くて有名な尾道市の隣の市であり、広島県と岡山県の県境に位置する街です。福山市は広島の第2の都市にあたるので、人口も46万人を超えるとても大きなエリア。新幹線も止まります。

そんな福山市で「鞆町」と呼ばれるエリアが、鞆の浦です。こちらの人口は約3600人と、規模としては大きなものではありません。

福山鞆の浦マップ_page-0001

※引用元:https://syamanami.jp/pamphlet-rack/list.php?area=5&category=3

だからこそ地域のつながりが今もなお残っているのが、この町の魅力のひとつです。僕らは2度しか足を運んでいないのですが、さまざまなつながりが生まれて、移住の相談にもたくさん乗っていただきました。

たまたま寄ったカフェのオーナーと話していたら「この町に移住!?何か情報入ったら教えるので、Facebook交換しましょう!」と言ってもらえたのは衝撃でした。

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鞆の浦が一躍有名になったのは、ジブリ作品の「崖の上のポニョ」の舞台となったこと。鞆の浦の名前を出すと「あ!ポニョのところね!」と返ってくる確率が70%ぐらい。

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また、”伝統的建造物群保存地区“となっており、昔ながらの町並みが残っています。おかげで散歩も楽しい。

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神社や寺院が数多く点在するのも、この町の特徴。良き文化が残っていることの証ですね。

このように様々な魅力が存在し、観光として栄えてきた鞆の浦。素敵なカフェもあるし、人も温かいんです。もっと鞆の浦の魅力に触れたい方は、ぜひ下記のページを見てみてください。

ちなみに、鞆の浦のシンボルとなっているのがこの「常夜灯」。

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なぜ、このタイミングの移住なのか?

冒頭にも書いた通り、このタイミングでの移住には僕ら自身もびっくりしています。

それほど、急いだように移住することにしたのは何故なのか?その理由は大きく2つあります。

一つは、住める場所が見つかったこと。

鞆の浦は移住希望者も度々いらっしゃるそう。ただ、空き家がどんどん増え、なおかつ居住用に使える場所が少ないことが課題としてあります。ましてや、賃貸物件はなかなか見つかりません。

そんな環境なので、運良く賃貸物件に巡り合うことができたことがご縁だと感じました。住宅は移住のハードルのひとつだと言われているので、僕らはとても運が良かったと思っています。


もう一つは、息子の保育園

今年4月には妻の育休も終わるため、保育園に入れるようにしたいと考えています。東京だと待機児童が多く、希望している保育園に入れるのも難しい現実があります。

その点、地方の方が競争率が激減するため入りやすい状況に。

ただ、鞆の浦にある保育園は環境が良く、鞆の浦外からも入園希望が出るほど人気なんだとか。

その状況を聞いた時、途中入園よりも4月に入れるように動いた方が入園できる可能性が高いと判断。ギリギリ書類が間に合うことを知り、急いで移住することを決断しました。

また、夫婦ともに仕事をフルリモートで行なっているため、仕事を変える必要がなかったことも大きく影響しています。この働き方があるだけで移住のハードルは全然違いますよね。


移住先を考える際大切にしたこと

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昨年、移住先を探して様々な地域に足を運んでいました。

愛媛県の大洲市・今治市
青森県の十和田市
広島県の尾道市・内海町
宮崎県の日南市

足を運ぶたびに、その地域のことが好きになり、この1年で好きな場所が一気に増えました。

その際、夫婦で考えていた大切なことがいくつかあります。それがこちら。

・自然を感じられるか?
・地域コミュニティがあるか?
・何かコトを起こせる余白があるか?
・子育ての環境が悪くないか?
・直感でビビッとくるか?

東京を離れることを強く意識したきっかけは、子育てが始まったことでした。

なので、「なるべく自然を感じられる場所で子育てをしたい」「保育園などの教育環境が大丈夫なエリアがいい」その優先度がとても高かったんです。特に瀬戸内海の穏やかな感じに惚れていたので、その近辺を中心に考えていました。「穏やかな海は穏やかな人を育てる」そんな感覚を持ったからです。

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また、移住先でやりたいことがいくつかありまして。

僕が現在行なっているコミュニティ活動をもっともっと深めていくためにも、地域コミュニティに関わっていきたい!ということを考えていました。今はオンラインコミュニティがメインだからこそ、リアルがフィールドとなる地域コミュニティと向き合っていく必要がある。そんな感覚を抱いています。

また、僕がコーヒーを淹れるのが好きで、妻がパン作りが好きなので、その好きを掛けわせて夫婦でお店を開きたい!という妄想を膨らましています。その場が、鞆の浦と外をつなぐ架け橋になったらと考えています。

それらを考えていくと、地域でコトを起こすための余白があるといいなぁと思ったんです。余白というのは、「移住者が多すぎないこと」や「コンテンツで溢れ過ぎていないこと」。

そして、最後は直感です。
大事な意思決定ほど直感を大切にする長田夫妻なので、今回もそれを大切にしていました。

それらのことをトータル的に考えて、鞆の浦で暮らすことを選びました。

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僕にとってのニ段階移住

こうした移住の話になると、最近「二段階移住」というキーワードをよく耳にします。

二段階移住というのは、いきなり田舎暮らしをするのではなく、まずは近くの都市に移住し、その後よりローカルなエリアへ移住する考え方です。

例えば鞆の浦だと、鞆の浦へ行く前に福山駅近辺に移住し、そこで慣れてから鞆の浦へ移るという感じですね。

僕の場合、東京→鞆の浦という移住なので一見大きな移住に見えるのですが、僕にとってはある意味の二段階移住をしている感覚なんです。

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というのも、現在暮らしている高円寺に移ったのが小さな移住体験だから。そもそも高円寺に暮らしはじめたのは、もっともリスクが少ないなかで地域性を感じられるにはどうすればいいのか?を考えた結果のアクションでした。

高円寺を暮らす拠点にし、小杉湯や小杉湯となりを通じて友人が増えて、高円寺アパートメントで近所付き合いを体感しました。

その経験があったからこそ、僕らは地域に関わることの魅力を感じ、地域に根ざした暮らしを実現していく覚悟を持ち、一歩を踏み出すことができたんです。

高円寺があったからこそ出来た移住。高円寺の皆さんには本当に感謝しています。ありがとうございます。

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最後に

ということで、2月末から僕らのライフスタイルに大きな変化が訪れます。

これが吉と出るか凶と出るかはわかりませんが、そのプロセスも家族で楽しんでいきたいと思います。それも、無理しないペースで。

鞆の浦をはじめ福山市の皆さん、これからよろしくお願いします。東京の皆さん、ぜひ鞆の浦へ遊びに来てくださいね。来てくださる際はご連絡ください。色々ご案内します。

それでは!


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