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コミュニティは、社会で失われたものを取り戻す場所

コミュニティの専門家として活動すること、早3年が経過した。

独立当初は「コミュニティって何?」というそもそも論を話すことが多かったが、最近は「コミュニティをどう活用するか?」のような話が増えた気がする。

周りを見渡しても、コミュニティに関するイベントや勉強会もどんどん増え、コミュニティをビジネスで活用する事例もかなり目にするようになった。

それだけ、社会のコミュニティへの認識が定着しつつあると思うと、とても喜ばしいことだなと思う。

一方で、「コミュニティビジネスをやろう!」とか「オンラインサロンで稼ごう!」みたいな広告や声を上げているひとを目にすることが増えた。

正直、これに関してはとても違和感を感じている。

たしかに、コミュニティの考え方や仕組みを取り入れることで、うまくいくビジネスはあると思う。それを否定する気は一切ない。

ただ、僕のなかであるのは「コミュニティって本来そういう使われ方をするものだったっけ?」という疑問だ。

運営会社や主催側にとって、マーケティング的な効果やブランディングに寄与、ときには直接収入になるということもあると思う。コミュニティの発信を見ていると、この部分にフォーカスが当たったものが圧倒的に多い。

でも、これってある意味結果論みたいなもので、そこに行き着く前に通らなくてはいけない道があるはずだ。

それが、メンバーひとりひとりに提供する価値という視点。

コミュニティにおけるマーケティング効果みたいなものは、メンバーの皆さんが満足してはじめて生まれるもの。いわば土みたいなものだと考えている。

まずは、その土を耕していこう。じゃないと、いい芽は出ないのだから。

そう考えていくと、じゃあコミュニティがメンバーに提供できる価値って何だ?ということになっていく。

ここでよく言われているのが、「ここでしかできない体験ができる」「学習効果が高い」「自己実現をすることができる」などなどだ。

これらにはとても共感するし、僕自身もこの価値を少しでも感じてもらえるように、コミュニティマネージャーとして様々な工夫を試みている。

ただ、最近ふと思ったのは「もっと人間の根本的な部分にこそ価値があるんじゃないか?」ということだ。

「人に話を聞いてもらえた」
「好きを共有することができた」
「仲のいい友達ができた」

人によっては当たり前だと感じられることだが、これらは当たり前にあるものではなくなってきているように感じている。東京を拠点としている僕としては、そう感じるのだ。

もしかしたら地方はそうじゃないかもしれないが、これらは今の社会が奪い去っていったもののように思うのだ。

SNSが普及し、可処分時間を取り合い、人の集中力はどんどん低下し、目の前のひとの話すらちゃんと聞けていない人が増えた。好きを叫べば叩かれるから、相手を選んでいく必要も出てきた。社会に出て友達ができない…とこぼす人も珍しくない。

そんな現実があるから、コミュニティが求められ、ここ数年で一気に広がっていったように思う。

コミュニティをどう活用するか?
コミュニティのこれからはどうなるのか?

そういった議論や仕事も楽しいけど、この根本的な部分は忘れないようにしたい。そして、僕が関わるコミュニティでは、この部分を大事にコミュニティマネジメントをしていきたいと思う。



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