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いのちの発動
はじめてセッション、ご一緒させていただきました。
あらためて、STRやその他お2人がやってらっしゃる治療方の何に惹かれてきたのか気が付かされました。
その人丸ごとそのまま。
その人の全体性の中で、体の声を聞き、その瞬間に必要な手当がされる。何からも切り離されることなく、生きているその人丸ごとの中で。
何も切り離されることがない。
全体性。見えてるものも見えてないものも全部の中で。
その人の体が主体的に動き始めるまで待っている。
うまく言えないのだけれども、いのちの丸ごとと対話していくこと。何も切り離されていない、丸ごとのその人を受け入れていくところに、何かぐっとくるんです。そうしていくことで、普段社会生活の中では隠れてしまっているいのちが現れてくる。そんなとき、何か忘れてたもの懐かしいものが空間に広がっていく感じがします。
私が過ごしてきた一般的なリハビリでは、動かないところをある意味、悪者にしてしまいます。しかも、社会常識の中で「正常」という基準をもとに判断され、動かない=足は悪い。と、その人の中に悪者を作ってしまう。そして、一般的な正常的な動きはこうです。と強制ギブスにはめる。自分でやっていて、そこにずっと違和感を感じてきたんだと思います。
悪者のレッテルを貼れば、そんなにひどくなくても悪者になってしまいます。
歩けた。という結果はあるけど、その奥にあるいのちの広がりがない。何かが止まって、しまいには枯れてしまう。何かが嘘だ。表面的だ。と感じていました。
そのままをただ受け入れられることから広がる。
何も悪者になることなく、なんのレッテルも貼らられず、切り離されることもなくただそれそのものとして受け入れられている場ができる。
すると、体が誤作動や不自然さに気が付いて、自ら変わっていく。腕が勝手にぐにゅーっと動いて体最良、最善に形になっていってくれる。
そして、心も意識も変わっていく。エネルギーが生まれる発動も様々起こる。体の中で熱を生み出す力として、何かをしたいという欲求として、動き出したい衝動として発動しだす。人間まるごとが動き出す。丸ごと変わり出す。
そこには、自分で自分を幸せにする力がある。
そこでした!すごく惹かれるところ!そこがあればもう大丈夫。リハビリでも1人1人に輝かせたかったところ。
いのちの力が吹き出すところ。
そこに、またご一緒できたら、本当に幸いです。
セラピスト 三浦一夏(ひなつ)
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