見出し画像

コミュニティとの出会いを、運頼みから仕組みへ | 武口 翔吾

みなさんが「コミュニティ」に対してポジティブな印象を持てたのには、どんなキッカケがありましたか?

「コミュニティ活動力教育」なんていう事業に関わりながら‥。「コミュニティづくりに関わってきました」なんてプロフィール文で書いちゃいながら‥実は私、世間一般で言う、めちゃくちゃなコミュ障なんです。

人に話しかけるのにはかなり勇気が要るし、雑談は苦手だし‥。かつて私を合コンに誘ってくれた(無謀な)友達には、大変申し訳ない気持ちになったのを覚えています。

けれど今、私を取り巻く人たちの中で「武口はコミュニケーションが苦手だ」と言う人は、(たぶん)あまりいません。

武口 翔吾(しょーご)
神奈川県出身。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、企業システム開発に2年半従事した後、同僚の社内起業に乗っかる形で家庭菜園SNSの開発にも携わる。会社員になり、就職までのキャリアを考える機会の少なさに問題意識を感じ、教育系NPO団体にも副業として携わる。2014年に退職し、1年間のフリーランス期間を経て2015年に一般社団法人をウィルドアを創業。主に裏方として、マイプロジェクト事業の推進や組織運営、コミュニティづくりに取り組む。

居心地の良いコミュニティは人によって違う

高校・大学時代、「何で自分は、みんなが普通にできることができないんだろう?」と歯がゆく思ったことを覚えています。

そんな私にとって幸いだったのは「コミュ障なはず」の私が気楽に話すことができる仲間や友達が居てくれたことでした。

居心地が良さを感じる場所は、人によって違う
楽しさや満足を感じる対象も、それぞれ違う

当たり前のような話ですが、こう受け止めることができて。「コミュ障でも良いや」という割り切りができて、随分生きるのが楽になりました。

でも、「みんなが”そう”であることができない・合わせられない」ことで、苦しんでしまう人は、私だけではないように感じます。

良いコミュニティと出会えるかは運頼み

現在の教育環境は「与えられるコト・場に適応する」ことを強く要求する場合が多く、その中で自身が持つ違いを、肯定的に捉えることは困難です。

皆さんの中にも学校で過ごしていた頃、合わせること・耐えることを言葉の内外で強いられた記憶がある方も多いのではないでしょうか。

「一度入ったら抜けづらい」
「染まれないなら耐えるしかない」

そんな同質性が高く、果たすことができる役割が限られた環境の中で、コミュニティの意義を感じられた人はどれほどいたでしょうか。

Web・SNSの発達により多様なコミュニティが可視化され、選択できる自由は大幅に広がりました。しかし、それを「選ぼう」という発想ができるかや、研鑽を積むことができるかは運頼みとなっているのが現状です。

運頼みから、仕組みへ

コミュニティに対して「選択できる」発想と意識を持ち、自身を「活用する」主体としてトレーニングできるようになっていくこと。

コミュニティ活動力教育事業では、それが運頼みとなっている現状に、誰もが機会を得ることができる仕組みとしていく未来を描いています。

一人ひとりにとって、コミュニティが
「耐える・染まる・適応せねばならない」ものから「選ぶ・離れる・適応できる」ものへ。「入る・与えられる」だけのものから「つくれる・変えられる」ものへ。

そして誰もが「自分にとって居心地が良いと感じる場所が、どこかにある」と信じ、探し、出会える環境へ。

この事業を通して少しずつでも変わっていけばと願っています。

おわりに

コミュ活事業は、まだ生まれたばかり。
チーム5人で仮説を組み立てながら走っています。

ご関心を持ってくださった方は、ぜひ思いの丈やアイデアをご共有いただければ幸いです。


▼先行リリースイベントやります


▼コミュニティ活動力教育事業についてはこちら