【ゲマインシャフトとゲゼルシャフト】「保守」的な共同体から「リベラル」な社会へ
本記事では「未来の共同体の在り方」について考察します。
その答えをあらかじめ提示すると「調和社会は可能か?」という問いが、本記事で検討する「未来の共同体の在り方」に対する解答に繋がることを示したいと思います。
かつての日本企業は村落共同体だった
ドイツの社会学者フェルディナンド・テンニースは、人間社会が近代化していく過程を「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」という二つの概念を用いて説明しました。
ゲマインシャフトとは、地縁や血縁などによって深く結びついた自然発生的なコミュニティのことです。もとのドイツ語で表せば、ゲマインシャフト(Gemeinschaft)=「共同体」という意味になるわけですが、これは家族や村落共同体、または伝統的な宗教団体などをイメージしていただければ良いと思います。
一方のゲゼルシャフトは、利益や機能・役割によって結びついた人為的なコミュニティのことです。ゲゼルシャフト(Gesellschaft)=「社会」という意味になります。必ずしもテンニースが言及しているわけではないものの、これは都市や企業、政府、あるいは市場なども含まれるかもしれません。
テンニースによれば、社会組織が「ゲマインシャフト」から「ゲゼルシャフトへ」と変遷していく過程で、人間関係そのものは、疎遠になっていくと彼は考えました。
機能を重視するゲゼルシャフトでは、社会や組織が一種のシステムとして機能することになります。そのような集団に所属する個人の権利と義務は明確化され、それまでのゲマインシャフトが持っていたウェットな人間関係は、利害関係に基づくドライなものへと変質することになる、ということです。
さて、それは本当なのか?「少しだけ壮大な寄り道」をしながら、一緒に考えていきましょう。
日本建国~日本最初の「家族」とは?
日本最初の「家族」とは?
この問いには具体的資料が残されていないことから、一般回答は存在しません。ですから、ここでは史実や考古学などを辿ることはせずに、「神話」を立脚点に据えて、日本古来の神話の一つである『天孫降臨』をなぞってみたいと思います。
『天孫降臨』とは、日本の奈良時代に編纂された『記紀』のうち、712年に完成したとされる『古事記』に記された一つのエピソードですね。
『記紀』について簡単な解説を付しておけば、712年の『古事記』は、皇室の正統性を示すために記録された神話や伝承など「物語」が中心であり、これは日本国民に皇室の正統性を示すための文献とされています。
もう一方の『日本書紀』は720年に成立、日本の歴史を体系的に記録することを目的としているとされており、政府側の視点でもった政治的出来事や歴史記述が多い。つまり「日本の正統性を諸外国へ対して示す文献である」と言っても良いわけですね。
では、日本はどのようにして建国されたのか?
『古事記』によれば、「最初に天地が形成された後、最初の神々(造化三神)が出現した」のちに、イザナギとイザナミが協力して日本の国土を生み出したとされます。最初に生まれた島は淡路島であり、続いて四国、本州、九州、その他の島々を生み出しました。これが世に言う「国生み」のエピソードです。
国土を生み出した後、イザナギとイザナミは多くの神々を生みまします。これが「神生み」であり、その中には風の神、海の神、火の神などが含まれます。火の神「カグツチ」などは聞いたことがあるか方も多いでしょう。
そして、イザナギは神道における三柱神と称される、
アマテラスオオミカミ:太陽を司る女神で、日本神話の中心的存在
ツクヨミノミコト:月を司る神
スサノオノミコト:海や嵐を司る神
ら、三大神を誕生させます。
そして、ここからが『天孫降臨』の話に進むわけですが、天皇陛下の祖神であり、八百万の神々の最上位として知られるアマテラスオオミカミは、その孫であるニニギノミコト(以下ニニギ)に、かの「三種の神器」を持たせて地上へと送り、彼に日本を統治させたといいます。
そのニニギが九州の高千穂(現在の宮崎県高千穂町)に降り立ったことで、この地が天孫降臨の地とされています。彼は地上で婚姻を結び、子孫を残しました。その後、彼の子孫が代々天皇として日本を統治することになり、これが皇室の起源とされています。
というわけで、あくまでも神話に基づくのであれば、日本最初の家族として有力なのは、ニニギとその妻であるコノハサクヤヒメ、そしてその間に生まれた子供たちを指すことができるというわけです。ちなみにコノハサクヤヒメは、山の神であるオオヤマツノカミの娘ということなので・・・キリがないのでこれ以上、歴史を遡るのは控えておきましょうかね。
その後、ニニギの曾孫にあたる神武天皇が日本列島を統一し、奈良盆地に都を定めます。神武天皇が初代天皇であり、おそらくこのエピソードが日本建国の始まりとして私たちに知られている最も有名な歴史ですが、しかしその神武天皇の実在についてさえ諸説あるとされているわけですから、日本建国あるいは最初の家族を考察するにおいては神話を立脚点にした、ということです。
それくらい、私たち日本人は二千年を超える歴史を神話と共に歩んできた、ということなのではないでしょうか。そして話を戻せば、この二千年余りのほとんどを、テンニースが言う「ゲマインシャフト」的な共同体をベースにして生を営んできたのが私たち日本人なのです。
ゲマインシャフトの終焉?
では、このゲマインシャフト的な共同体生活はいつまで続いたのか?
近代以降の日本の歴史を振り返ってみれば、テンニースの予言通り、戦前の日本において、多くの国民のアイデンティティの基盤となっていたのは村落共同体というゲマインシャフトだったでしょう。
おそらくその終焉の始まり時期と目されているのが、約250年にわたる平和と安定を維持した江戸時代でした。当時の江戸は封建制度のもとで大名や藩が統治する地域社会が形成されていました。
農村では、生まれた場所から移動することもなく、多くの人は親の職業(ほとんどが農業ですが)を継ぎ、生まれた時から所属していた地縁・血縁によるコミュニティから離脱することもなく、半ばそのコミュニティからの制約や監視を受けながら、半ばそのコミュニティからの扶助や支援を受けて、人生を送っていたわけです。
これが明治維新~先の大戦争を経て、どんどんとゲゼルシャフト化していくこととなります。特に戦後、高度経済成長期に入ると、都市部の企業や店舗が多量の人員を必要とするようになり、いわゆる「集団就職」のような形で 、生まれ育ったゲマインシャフトを離れて、企業というゲゼルシャフト的なコミュニティに所属するようになっていきました。
ではこの「企業というコミュニティ」は、テンニースが本来の意味で言ったゲゼルシャフトと言えるのかというと、どうも微妙なんじゃないか、というのが私の考えです。
なぜそう考えるのか。と、いうことを説明するために 、まずはこの考えの元となるキーワードを見ていきましょう。そのキーワードとなるのが「三種の神器」です。
三種の神器
話を少し遡って、『天孫降臨』についてあらためて触れます。
日本を建国したとされるニニギに対して、その祖母であるアマテラスはなぜ「三種の神器」を持たせたのでしょうか?これは、現代を生きる私たちにも理解しやすいことです。
2019年4月30日、天皇退位特例法の適用により、上皇明仁が退位され、翌5月1日に今上天皇である徳仁が即位されました。これによって約31年間続いた平成は令和へと改められました。
呼称が様々あるため、ここでは「天皇即位の儀」としますが、要するに天皇が公式に皇位を継承する際に「天皇を象徴する神聖な宝物」である三種の神器を受け継ぐことで、正式に天皇の地位を継承することが可能となります。
失礼を承知で述べれば、「三種の神器を授与できるからこそ、あなたが天皇陛下である」という証になるわけです。
つまり、三種の神器を受け取る、あるいは「保有する」「所持する」「権利を得る」「享受する」など、様々な動詞表現が可能ですが、これら「受ける側」は、授ける側から「あなたは〇〇である」ということを認められる、という意味があるのだと思います。
さて、ここまでを踏まえて、高度成長期における「企業というコミュニティ」は、テンニースが本来の意味で言ったゲゼルシャフトと言えるのか?について私自身が「どうも微妙だ」と考える理由は、まさにこの三種の神器にあると申し上げたいのです。
ここまで書けばもうおわかりでしょう。そう、企業にはかつて「三種の神器」が存在していたからです。
企業における、いわゆる三種の神器とは、すなわち「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」の三つです。なぜこの三つがあると「高度経済成長期の企業はゲゼルシャフトではなかった」と言えるのか。
肝心なのはここです。企業が従業員に対して「我が社の三種の神器を得られる君は、我が社の一員=ゲマインシャフトの仲間なんだよ」と伝えることで、その従業員が企業のコミュニティの一員として認められ、深い絆と忠誠心が生まれるのです。
これは、企業が単なる雇用関係を超え、家族的なつながりや共通の目的を持つ集団として機能するための重要な要素を持つことになる、ということはご理解に難くないと思います。
三種の神器の存在が、従業員に対する企業の期待と信頼を象徴し、彼らをゲマインシャフト=共同体の一員として位置づけるわけなのです。
「終身雇用」というのは、一生面倒を見るから忠誠を尽くしてくれ、という約束事ですよね。さらに「年功序列」というのは、コミュニティにおいては年長者が相対的に尊敬・重用されるという約束ごとであり、最後の「企業内組合」というのは、仲間の雇用を一緒に守ろう、誰かが解雇されないように団結しようという約束ごとです。
つまり、現代日本ビジネス界における三種の神器というのは「①一生面倒を見ます」「②年長者を大事にします」「③団結して個人を守ります」ということを言っているわけで、 要するに、戦前の日本においての村落共同体とまったく同じような意味合いを持っている、というわけなのです。
これら三種の神器に加えて、例えば運動会などのイベントが行われたり、社屋屋上に仏故社員を供養するための神社があったりということを重ね合わせると、運動会などのイベントは村落協同体の盆踊りに、社屋屋上の神社は村の鎮守に該当するわけで、まさしく一旦崩壊しかかった村落協同体というゲマインシャフトを、企業という別形態のゲマインシャフトが受け継いでいったと考える方が妥当だろうと思うわけです。
ゲゼルシャフトを役割・機能に基づいた結びつき、ゲマインシャフトを友愛、血縁に基づいた結びつきと考えれば、両者が何らかの形で重層的に担保されない限り、生産性と健全性が両立した社会の形成は難しいでしょう。
今日では、少なくとも大企業におけるゲマインシャフト的な要素は既に完全に崩壊しており、やがてはアメリカに象徴的に示されるような完全なゲゼレシャフトに移行すると考えられます。
では、戦前には村落共同体が、高度経済成長期からバブル期までは企業が担っていた社会におけるゲマインシャフト的な要素は、何が担うことになるのか。というより代替案を探すことは可能なのか。
本記事の結論に至るために、最後にもう一つだけ深堀りをしてみたいと思います。具体的には何についてなのか?それはゲマインシャフトとゲゼルシャフトの利点・欠点について「保守」の視点で見ていきます。なぜならゲマインシャフトとゲゼルシャフトは、基本的に「対立概念」とされているからです。そのうえで、如何様にして変化することが可能か、最後に少し「リベラル」の視点でも見ていきます。
保守とリベラル両視点から見る利点と欠点
まずは、ゲマインシャフトを保守の観点から見た場合の利点ですが、家族や村落など、個々の強い絆に基づいた共同体は、互いに深く信頼し合い、助け合うことで、安全や安心感が高めていきます。文化や伝統が世代を超えて継承され、共同体全体が一体感を持つようになります。
しかし内部の結束が強い一方で、外部の人々に対して排他的になりがちでもあります。ですから欠点としては、ゲマインシャフトでは異質な要素を受け入れるのが難しく、進歩や多様性の排除に努めることもままあります。さらには伝統を重んじるが余り、新しい考え方や技術に対する抵抗もあるでしょう。
次にゲゼルシャフトを保守の観点から見ると、契約や法律に基づく関係が主流となるため、個人の自由や権利が尊重されやすいという特徴があります。自己実現や創造的な活動を促進させるためには必須と言えるでしょう。合理的な組織や制度が整備されやすいので、経済活動や社会運営もまた効率的に行われます。
では他方、欠点としては、人間関係が表面的になりがちで、個々が孤立感を抱きやすいという点が挙がるでしょう。コミュニティの絆が薄れ、社会的な支えが不足する。こうなると、経済的利益や個人の成功が重視される一方で、道徳や倫理観が軽視されることがあることでしょう。
だからこそ、ゲマインシャフトの単なる代替案を策定し検討するよりも、ゲマインシャフトをまず保守的側面から観察し、欠点を薄め、ゲマインシャフトとゲゼルシャフト双方の利点を最大化する方法があるのではないか?これが、本記事で私が考え付いた結論です。
題して
Gemeinschaftliche Gesellschaft=共同体的社会
元のドイツ語に寄せて
Gemeinschaftliche(ゲマインシャフトリッヒェ)
Gesellschaft(ゲゼルシャフト)
と読む、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトが持つ、共同体と利益社会の二つの概念の「良いところ取り」を表現する概念です。
ゲマインシャフト(共同体)やゲゼルシャフト(社会)には、必ずネガティブな存在がいるものです。例えば、子供に過度な干渉をするモンスターペアレントや、特定のコミュニティに固執して離れない地縛霊のような人、ブラック企業のボスやパワハラ上司など。このような人々とは付き合うべきではありません。人生を成り行きに任せているだけでは、幸福を手にすることは難しいでしょう。
一方で、人にポジティブな影響をもたらす存在もいます。神話や宗教、新人や若手を温かく迎え入れてくれるベテラン、サポートを買って出る面倒見の良い先輩社員、新進気鋭のプロジェクトに挑む仲間たちなどです。このようなポジティブな人々との出会いが、未来の共同体としての「調和社会」を築く鍵となるでしょう。
このように考えると、主体的に仲間を見つけて一緒に何かをやってみるチャレンジを避けることは、大きな機会損失を生むことになります。積極的に行動し、良い仲間と共に未来を切り開くことが重要です。
素敵な神話や優しい妖怪、地球に優しいチャレンジを続けるポジティブモンスターも、きっと少なくありません。
そう考えると、悪意を持った行いや、人を貶めるような行動を控えるだけでも、未来が明るく見えてくるかもしれませんね。
僕の武器になった哲学/コミュリーマン
ステップ2.問題作成:なぜおかしいのか、なにがおかしいのか、この理不尽を「問題化」する。
キーコンセプト27「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」
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