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自己紹介

7年程、中小企業の広報を担当していました。その会社は元々製造業を営んでおり、日本でも数社に限られる珍しい技術で大手製造メーカーの下請け部品を作っていました。技術転用し異業種へ参入するとの号令で新部門が立ち上げられ、女性で、部署で最も社歴の長かった自分に広報の任が与えられたのです。

会社に一人だけの広報。先輩も助言を求められる人もいない状態で、日々手探りで進むしか方法がありませんでした。はじめは「プレスリリース」という言葉も知らない状態。新商品が出る毎に、試行錯誤で宣材を撮り、見よう見まねでプレスリリースを書き。配信サイト頼りではメディアからの反応はほとんど得られないので、雑誌の裏表紙に書いてある編集部の番号に電話を掛け、近くへ寄るのでご挨拶だけでもと数社のアポを取り、片道約3時間の東京へ 月一弾丸キャラバン・ツアー(出張)を決行。時にはHowto本を読み漁り、時にはセミナーに通ったり。徐々に形になったころ、数人の部下がつき広報チームとして稼働するように。以降は、マスメディアへのパブリシティ、イベントの企画・運営、ホームページや社内報の制作の他、そして直営店の立ち上げなどに携わりました。

充実していた7年間。手探りでやみくもに突き進んだにしては、振り返ってみると、それなりに広報らしいことを一通りはできていたのかなと自分を褒めてあげたい点も。でも一番の反省点は、トップ(会社の社長)とコミュニケーションが取れていなかったこと、これは圧倒的に。元々人見知りが激しく、人に慣れるのに時間がかかるタイプの私。それが、対顧客の関係性であればビジネス・コミュニケーションで応じることができるのですが、そうでないとうまくいかない。加えて、私は社長がすごく苦手なタイプ(=嫌い)であった(恐らく向こうも)。初めから必要なコミュニケーションが取れていなかったし、これを認識しだしてからは接触するのも億劫になり、報連相が滞る。日々の業務は部門長で事足りるのですが、もっと大事なことを、もっといっぱい社長と話し合わなきゃいけなかった。
今思えば、完全なる職務怠慢です。

これは将来的に解消できない、そう感じたときに会社を辞めました。

すべてがうまく一人前にできていたとは思わないけど、社内・社外とのコミュニケーションに関しては、人見知りでも在り方を覚え仕組みさえ構築できればなんとかすることができる。でも企業のトップとのコミュニケ―ションは、信頼関係無しには成り立つことはできないと思います。

現在は別職で息抜き中。

でも広報は自分のライフワークだと感じているので、一度原点に返って勉強し直し、また復職したいと思っています。その時には、トップと信頼関係を結べるように、自分の人間力も高めて。


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