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5/4朝 脳内多動パニック→雑記

・脳内多動ほんとにつらい。
→森田療法の考え方を応用して、ある一つの考えから次に移ろいたい衝動を、あるがままに受け容れ、しかしその場に踏み止まる。しばらくして衝動が収まってきたら、「生の欲望」に従って、「目的本位」の行動をする。

「あれがなければこれがなければ」という「とらわれ」があり、それを取り除くための「はからい」に逃げ込む、という発想が、
たとえばADHDの症状に苦しんでいるから、薬を飲んで緩和させる、という発想と衝突しているように思えなくもない。


・「ADHDの症状が軽くなれば、自閉的な部分の能力が存分に活かせるようになる」という考えが、私の身において果たしてどの程度本当か。
・森田療法的には発達特性の症状で辛かったとしても、症状はそのままに、本人がそれを除去するのでなく受け容れることを促すのだろうか?

・報酬系の低さと、強迫的な回避。どちらが原因で目の前のことが現象してるのか、脳内を覗かないとわから(れ)ないのかもしれない。専門家じゃないからよくわからないけど。私はたぶんどっちもある、気がする。
・ADHDの薬を飲めば私はもっとできるかもしれない、は、煩悩か?

・とりあえず今ジタバタしても、変わらないかもしれないな。それこそ「はからい」っぽくなってしまう。これは医師に相談することだからね。

・多動衝動性を活かすことを考える。AS側とうまいことコラボレーションさせるにはどうしたら良いかを考える。「目的本位」。


・「生の欲望」に従ったやりたい・やれることを見つけ
→AS側の集中力を発揮しようと思ったところで
→脳内多動で考えが拡散して注意が散ってしまうと、これは物凄いストレス。

なら、
AS側で「生の欲望」に一意専心
→多動・衝動性で「目的本位」の行動を迅速に実践(アジャイル?)

こんな感じか


・自分にとっての「生の欲望」というテーマ上で、(AD)Hの特性を活かして膨大な試行錯誤を繰り返すということか。脳内というよりも身体を動かす。アウトプット。

反対に「生の欲望」を見定めようとする段階で脳内多動が起きていると思考が拡散してしまい何もまとまらなくなる。これは森田療法的に対処。

こういう断定的とも取れる書き方は危険なのだった。あくまで「今の私の場合は」。


・無からの構想段階でADHが働いてしまうと、自分が今なにをしているのかわからなくて辛いし、社会的信用が低下しそう(「前言ってたことと違う」「嘘つき」)。

ある程度枠組みと目的が定まった段階の試行錯誤で働くと、行動力の化身みたいになれるのかも。

ADH→ASではなく、AS→ADHの順番?

まぁいいや、これ以上観念的なことに走ると「はからい」になってしまう気がする。「生の欲望」に従って、「目的本位」で、目の前のことを淡々とこなす。脳内ではなく現実に進歩を生んでいく。

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