最後のくだりを書くために
夏目漱石の『明暗』を読んでいる。半分過ぎてからスピードが落ちてもたもたしていて、ちょっと嫌なヤツの「小林」の話にでてくる人間たちが主人公とどういう関係にあったか曖昧になりかかっている。漱石の子供が書いた文章に、作品のなかでは『坊っちゃん』が一番いいというのがあって、読み返してみようかという気になっていたのは、自分としてはいいという感想が残っていなかったからだ。若者のころ読んでそれほどでもなかったものが後にいいものに感じられることほど愉快なことはないのではないか。
小説『坊っちゃん』に出てくる、主人公を陰で支えるお手伝いさんの名前はなんだったでしょう? という問題が昔「クイズダービー」で出され、正解できなかった武田鉄矢が「あの名作を読んでいなくて知らなかったんです」と正直に答えていたのが印象に残っている。読んでいると想定されている書物を読んでいないことに対する恥の気持ちがぼくにある。だからといって読書に励むという方へ気持ちが向かうわけでもないのだから、ラクして偉くなりたいのだといわれても言い訳できないのである。
解答者の席に自分が座っていたら困っただろうな。そうか、武田鉄矢みたいに答えるのか、というようなことをぼんやり思っていたが、レギュラー解答者のはらたいらや竹下景子は正解していたので、へえ、読んでおくべき教養なのだな「坊っちゃん」は、と当時まだ読んでいなかったぼくは認識を得た。
クイズの正解は「清(きよ)」であった。ふと思いついて、本棚にはない『坊っちゃん』を青空文庫でさがして最後のところを読んだ。連続テレビ小説「あまちゃん」が最後の薬師丸ひろ子の歌を聴かせたいために作られたドラマに思えるように、『坊っちゃん』はこの最後のくだりを書くために作られたお話のようにも思える。四国・松山の赴任先を辞めて東京に舞い戻ってきた坊っちゃん。
清の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
キヨというのは、漱石の奥さんの戸籍上の名前であるというのは有名な話なのらしい。ツンデレといっては身も蓋もないが、お守りのように胸に秘めた愛情を後ろ姿であらわす、漱石のこういうところの感じが自分にもある気がする。