愛における男らしさ
先日、森鴎外記念館の前の通りを歩いていたら、青鞜の立て札に気づいた。青鞜社はこの地のだれかの自宅を事務所にした。女性文学集団として出発したが、のちに婦人解放運動に発展していった、そんなことが立て札に書いてあった。「青鞜」の表紙は、独身のころの長沼ちゑによるとも書いてあった。
『明暗』を読んでいて――それはいまも読み終わらず読み続けているが――、男らしくなさい、みたいな言葉遣いが何回か出てくるのを面白く感じた。それでなつかしいもののように明治ころのジェンダー観を思ったことがあったので、立て札に目が止まったのかとも思う。いや、違う。立て札を見たのは、『明暗』を読み始める前だった(笑)。青鞜の立て札を見ていたので、小説中の、男らしくという表現に目が止まったのだろう。
昭和50年代に入るところが青春だった自分の中に、男らしさの観念はごく自然な当たり前のもののようにあったと思う。そのちょっと前の時代、中学校に入って最初の自己紹介の時間に、小学校で同じクラスだったJという女子が、好きなテレビ番組は「おれは男だ!」です、と言った。おれもだ、ととっさに思った。そして、自分のめざす男らしさもその方向であることをあらためて自覚して武者震いするようだった。
中学生のころからは多少考えも進歩して、意識して心がけたりはしていないが、女性からの依頼に対して懇切かつ十分に応えようとするところなどに自分では男らしさへのこだわりがあると感じる。アルコール依存症が男らしさの病といわれたりすることにも納得する。納得するが、どういうわけで男らしさの病なのか、説明してみろといわれてもうまく説明できない。
小島信夫の『実感・女性論』のなかにこんな話がある。婚約して間もない男女の、女の方が年末にスキーに行こうとひとりで計画を立てた(ふたりはまだいっしょに住んでいないわけだ)。男の方にはもともとスキーに行く予定があった。そのことがわかるとおたがい喜んで、じゃいっしょに行こうということになった。が、直前になって男に仕事が入る。君ひとりで行っておいでよ、と男は勧め、その言葉どおり女はひとりで出かけた。
帰ってくると、男が不機嫌である。そのうち、自分が君の立場だったら行かなかった、などと言い始める。だって行ってくるようにと言ったのはそっちでしょ、と女は言い返す。それは君が行きたそうにしてたからだ。それはそうよ、だって最初からひとりで行くつもりだったから。行かせたくないならそう言えばいいのに、後になってそんなこというのは、理解できない。すると男もいう。「僕にも分からない。フンイキの問題なんだ」と。
小島信夫はこの話を面白がっているが、ぼくも面白く読み、かつひとに話してみたくなった。というのも、女は男の言い分を「論理的ではない」といっているが、この男のような論理的ではない考え方を自分もすると思ったからだ。自分の考えをいえば、言葉にしなくてもこちらの意向を忖度して行動してくれるところに、こちらに対する愛のあかしを見ることができるのである(愛は想像力によって量られるから)。言葉にしてお願いした結果のトリヤメであった場合、そこに愛のあかしを見ることはむずかしくなる。
愛のあかしをみたいので、スキーに行かないでと言葉にはできない。できるかぎり完全な自由のもとでの彼女の判断が重要なのだから。そして彼女は選択した。帰ってきた彼女に、自分だったら行かなかったと不満を述べるのは、むしろ見上げた態度に思える。男らしさの呪縛を抜け出ていると思えるから。正直にそう述べるのは男らしくない、と考えるぼくはそこでやせ我慢をして、あかしが見られなかった寂しさをひた隠して、天気はどうだった? などと話を向けるくらいが関の山だろう。(こうした事情を見渡せる目からすれば、男らしくない話であるのはどういうわけだろう?)
愛されたいと思っていたり、愛されている証拠を見たがったりするのは、男らしくないと思いつつ、そういう気持ちが胸にあるので身動きがとれなくなる。この単純な事情が、気になる者同士の関係意識をこじらせたり、愛していると知りつつ心の糸が結べない恋人たちを生みだしている、と考えるわけである。つまりぼくの考えでは、恋愛と男らしさとはへんな絆で結ばれているのである。