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身捨つるほどの地元はありや

以下、地元についての複雑かつ矛盾した思いをしたためた、お気持ち作文4091字です。

地方でソーシャルビジネス的な仕事をしていた時に、ふと上司から「こめんとさんは、地元の課題のために何かしたいって考えたりする?」と聞かれ、答えに窮してしまったことがある。そんなこと1ミリも考えたことがなかったからだ。

夫の転勤などで、これまでいくつかの地方都市に住んできた。田舎という表現は当てはまらないような、県やエリアの中心都市だった。冒頭のソーシャルビジネスの会社も県庁所在地にあり、私が今住む埼玉県川越市と比べたらかなりの大都会だ。それでも、そこに住む人たちには「ここは地方である」という意識があった。人口減少や若者の流出を懸念して、若者にとって魅力的なコミュニティを作ろうとか、ここで働きたいと思ってもらえる会社を起業しようとか、そういった話が常に飛び交っていた。ソーシャルベンチャーだから特別にそんな話ばかり聞くのかというとそうでもなく、地元紙や地元TV局など、どこかしらで毎日のように取り上げられている話題だった。

そんな会社で「地域の課題解決」の仕事をしながら、私は自分の出身地であるさいたま市(の特に旧大宮市)について何も考えたことがない。それに気付かされて、申し訳ないとか恥ずかしいとか、そういった自責の感情にも行き着かない、「全然考えたことありませんでした」という間抜けな反応しかできなかった。そして「私が何かしたり、課題を解決しようとしなくても、勝手に発展しているので…」と続けた。それを聞いた上司たちも、特に憤ったり呆れたりするような素振りは見せず、「やっぱりそういうもんか~」という反応だった。

この気楽さこそ、東京への通勤利便性が高いエリアなのだろうと思う。東京のように何かを成し遂げようとする人や、憧れでやって来る人がいるわけではないし、同じ県内でも東京から離れた地域のような衰退への危機感は無い。東京に行きやすい場所に生まれ育った人間にとっての地元とは、特に感情を揺さぶられることのない、凪のような状態が当たり前の場所だ。

住宅購入を考えた時、この「地元」について、改めて向き合うことになった。

当初はどこか土地の安い場所で注文住宅を建てたいという希望があったので、あちこちの土地を見て回った。夫の仕事の都合で埼玉県内に絞って探したが、ギリギリ駅徒歩圏くらいで予算内の土地となると、一般的な東京通勤圏ではなくなるエリアにしか選択肢がなかった。けれど、地方での生活を経験したおかげで都会への執着も薄れていたため、一度は県北の土地に申し込みを入れる寸前までいった。結局は申し込みを見送ることになったものの、他に良い場所ないかな~という気持ちは持続していた。

だが、途中で方針転換をすることになった。やはり塾や習い事に不便なんじゃないかとか、そこまで注文住宅にこだわらなくてもいいんじゃないかとか、理由はいくつかあった。でも、私の中に少しだけ引っ掛かっていたのが、まだ小さな娘が成長した時、「地元」を過剰に意識しない生活をしてほしいという思いだった。「地元のために何かしたほうがいいんじゃないか」とも、「こんなところ絶対に出ていってやる」とも、はたまた「こんなステイタスのある場所に住んでいる」とも思ってほしくない。地元を気にせず心が凪の状態のまま、住む場所も仕事をする場所もどうにでもできる、どこでも行けると思ってほしい……そんな気持ちがあった。

最近の学校では、地域に出ていって地域の良さを学ぶ、または中高生になれば地域の課題とその解決方法について考える、といった授業をよく行っている。地方で働いていた時は、地元の子どもたちが職場にやってきて、地域の魅力について調べ学習をするのに協力することもあった。この傾向は大都市圏にもやってきていて、都会は都会なりの授業をしているようだ。親世代が小学生の頃に習った『わたしたちの埼玉』みたいな授業とは、ちょっと様子が違ってきている。私は、暗に地元への貢献が求められる場所に住む子どもと、そんなこと考えなくていい場所に住む子どもとの格差が気になってしまい、こうした授業への思いが複雑だ。自分の娘には後者の環境を求めるくせに、である。

「地元」を意識するかしないか、この軸で住宅購入を考えてみた時、身勝手は承知で、東京通勤圏から完全に外れてしまう場所はやめておこうと考えた。そして落ち着いたのは、既に賃貸で暮らしていた川越市なのだが、埼玉の中でも飛び抜けて地元にプライドがありそうなこの街が、意外とバランスが良いことにも気付いた。ステイタスは歴史と文化にあるので、地価や住民の社会階層のみが指標にはならない。人口はそれなりに多く、今が社会増なのか社会減なのかわざわざ気にする人は少ない。近年は観光地として目立つものの観光客の数が死活問題というほどではなく、工業はあってもどこか特定企業の工場のみが雇用を支えているということもなく、農業もある。今のところ衰退を感じさせる様子はあまりない。

この環境を地元とすることに居心地の良さを感じているのは、他でもない自分自身なんだろうと思う。娘にとって…というのは建前であり、本当は、私自身が違和感や後ろめたさを感じないで済む場所を探していたのかもしれない。

勝手な考え方だなと思う。他の地域にある、地元を想ってもらいたい切実さを切り捨てているような気もする。でも、どの街を好きになるか、どこに住み続けたいと思うかは、それぞれの人が勝手に決められる世の中であってほしいとも思う。

しかし、自分にも意外と地元意識や地元愛があるのかもしれないと思わされる出来事もあった。2019年の台風被害だ。実家の近辺は、10数年に一度くらいの頻度で浸水することがある。近くの川が溢れるのだが、限られた場所のみで早くに水が引くし、浸水を免れた周辺の住民にとっては道路が通りづらくなる程度なので、ニュースになることはほぼない。けれど、床上まで浸水して大変な思いをしている家もあることを知っているので、台風の時にはずっとそわそわした気持ちだった。

そして、実家の近辺が浸水した時には大抵、さいたま市含め他の市町村でも浸水被害が起きる。2019年はさすがに規模が大きく大々的に報道されていたものの、報道が集中していた場所以外にも浸水被害が多かったことは、おそらくあまり知られていない。なのに、これまでの治水のおかげで大規模な水害を防げたとか、岩淵水門のおかげで隅田川が無事だったとか、そんな話が飛び交う。私は、「東京を守るために埼玉は水浸しだよ」と、心の中で悪態をついていた。埼玉はいい捨て石なんだろうと思うと、それなりに腹も立った。

私はしばしばTwitter上で、埼玉の洪水のことやハザードマップについて呟いている。埼玉で家探しをする人たちに、水害のリスクを頭の隅にちょっとでも置いてもらえたらという思いからだ。荒川が大規模に氾濫した時を想定して作られたハザードマップでは、これまでにも浸水被害があった場所と、万が一のために被害を見積もっている場所の違いがわからない。めったなことでは荒川がこんなに氾濫することないでしょ、と思われているから、支流や水路が実際に溢れた場所が見落とされてしまう。そうして、浸水履歴のある場所に新たな家が建ち、普通に買われていく。建てて売る側の不誠実を感じつつも、私は直接何かすることはできない。だから、たまに、ちょっとずつ呟くことで、水害のリスクを知ってもらえたらと思っている。水害の話うぜえなと多少思われるくらいはかまわない。「地元の課題」が想像できなかった私の思う課題は、これだったのかもしれない。そうだ、『わたしたちの埼玉』にも、河川の話はそれなりのスペースを割いて載っていたではないか。

私にとってちょうどいい街である川越も、水害に無縁ではいられない場所だ。2019年に大きな被害を受けたのは高齢者施設や障害者施設で、一般の住宅はほとんど建たない場所にある。そこにしか建設できないのだという事情は、ハザード色なしの安全な台地に住む自分にとって、小さくはない後ろめたさと居心地の悪さを生じさせる。また、市内には住宅地であっても浸水する場所もある。Twitterでは川越を中心にたまに物件紹介をしているが、浸水エリアやそのリスクが高い場所の物件は、紹介の対象からなるべく外している。できることは限られているし、言行一致しないような欺瞞がある気もするけれど、好きな街だからこそ、この新たな地元に対して部分的にでも誠実でありたいと思うからだ。

これといった感情が湧かないと思っていた地元にも、実際には、私は色々な感情を持っていた。住んで生活するからには、良い面だけを享受できるはずはないのだけれど、都市の便利さや気楽さはそれを覆い隠してしまう。人口減少がどんどん進むとか、商業が衰退していくとか、目に見えて分かりやすい課題ではない分、都市の課題を見出すには倫理観や知性が問われる。その点、かつての私は若くてバカだったんだろうと思うし、いい歳の大人になったからこそ、今度は身勝手さを手放せずにいる。自己の中に矛盾する思いが同居するのは当然とはいえ、住宅購入や資産を持つという話になると、人はそのエゴが前面に出る。

娘は今後、地元に対して何を思うか、思わないか。親と言えど他者である私には、元よりコントロールできるものではない。過剰に意識したり、縛られるようなものであってほしくはないが、「地元と私」というのは、案外不可分なものなのかもしれない。この街の何に愛着を感じ、何が嫌いだと感じるか。そして、どこにどんな形でこの身を掛けたいと思うのか。それを見つけ出すのは娘自身だし、別に住んでいる街に対して身を掛けなくても、事業でも宇宙でもなんでもいい。私は私のこととして、身捨つるほどの「地元」はありや、と考え行動していくのみだ。

*写真は、2019年10月13日に国道16号上江橋手前、荒川と入間川の合流地点付近で撮ったもの。

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