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キレイな言葉のバーゲンセールにご用心!
"自分らしく生きるのっていいね"とか"ありのままでいいよ"と言っていた人たちこそ、ボクがありのままを表現したら怒り心頭でした。
— 田口淳之介@対話の専門家 (@c_junnosuke) November 13, 2021
自分の許容範囲を超えた"ありのまま"を認める気なんて1ミリもない人ほどキレイな言葉が好き。話を聞かない人でもある。"自分を生きる"には覚悟が必要でリスクもある。
お恥ずかしながらタイトルで世代がわかってしまいますね。
\BOØWYはカツコイイ/
「自分らしく生きる」
「ありのままの自分でいい」
具体性がなく、抽象的でなんとなく耳に聞こえの良い言葉。
こういうキレイな言葉をあなたはどう思いますか?
ボクは「自分らしく生きる」ことは本当に大切なことだと思っています。
また、人生は言葉でできているとも感じています。
なので、美しい言葉を使うことはとても大切なことだと思います。
しかし、こういうキレイな言葉ばかりを多用する人間には注意を払っています。
ボクがキレイな言葉を多用する人に対して、注意を払うのには理由があります。
それは(肌感ですが)思考停止状態の人ほどキレイな言葉をよく使っていると感じているからです。
つまり、自分で考えを掘り下げることをしない(または、できない)人が、なんとな〜くキレイな言葉を並べているだけのように見えているのです。
そういう人には「言葉に責任をもたない」という特徴があります。
自分の言葉に責任をもっていない人は、ほとんど妄想で話しているようなものです。
これってめちゃくちゃ怖いこと。
ボクからしたら、深夜に行ってはいけないトンネルで肝試しをするレベルで怖いことです!
しかし、実生活を送っていると、そういう人が普通の顔して社会に溶け込んでいるのを目撃します。
でっ、よ〜く観察してみると、その方たちは殆ど「感想」しか話していない。
つまりは「気にいる」・「気に入らない」の軸でしか、モノゴトを判断しない。そして、その判断軸でしか話をしていないんです。
こんな風に言うと、「気に入る、気に入らないの話の何が悪いんだ!」と思われるかもしれません。
ハッキリ言います。
何も悪くはありません!
ただ、気に入る・気に入らないの話を「理由をつけていますよ」という顔して、実は理由づけができていないこと、そのことに本人が無自覚なのが危険だと思うのです。
「自分らしく生きる」とか「ありのままの自分でいい」といった抽象的な言葉が、無責任さを隠すために活用されているのを見て、「これは危険だ…」と感じているのです。
「自分らしく生きる」は、自分のことを徹底的に理解していく姿勢を表現する言葉だと思うのです。
そして「他者」や「社会」と自分という存在を、どう折り合いをつけていくのか?試行錯誤していく決意と行動が「自分らしく生きる」という言葉には含まれていると思います。
まとめ
本記事はあくまでも個人の感想です。もちろんキレイな言葉を多用する人が全員、自分の言葉に責任をもっていない人ではありません。
ちなみに、キレイな言葉を使う人が「地に足を着いた人なのか、それとも妄想で話している人なのか?」を見分けるのは簡単です。
「自分らしく生きるってどういう意味ですか?あなたの考えを具体的に教えてください」と質問すれば、すぐに答えはわかります。
こんな記事を書きながら、ボクは"自分自身を全力で生きる"を実践していきたいと改めて思いました。
なぜなら、そんな生き方が気に入っているから。
最後までお読みいただきありがとうございます!
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