掌編小説『ホタルのヒカリ』
ホーゥ…ホーゥ……
耳に聞こえるのは梟の鳴き声と川のせせらぎのみ。
目に映るのは、無数に乱舞する光の筋だ。
ホタルが刹那の営みを繰り広げている。
今宵は月が不在だ。
だからホタルたちも、今夜の主役は我らと張り切っているのだろう。
今日もよく歩いた。
ふうぅと長い息を吐いて仰向けに寝転がると、草枕が心地良い。
目の前の蛍の生体発光も、まもなく終わるだろう。流石に夜の営みも一晩中というわけにはいくまい。
ああ、このままだと眠ってしまうなあと思いながらも、心地よい疲れがもたらす微睡みに抗うことなどできない。
閉じたまぶたの内側にまで、その生命ほとぼしる光の残像が焼き付いている。その蛍の光の残像が次第に様々な色かたちをなして、イメージが繰り広げられた。
まるで夢を見ているみたいだ。
故郷の川で、石を積む自分。
大地と風の馴れ合いの間に重心を見い出すひととき。
研ぎ澄まされる、自然との対話の時間だ。
危ういバランスで成り立つこの世の法則を見つけると、まったくもって奇妙なオブジェが出来上がる。
***
はっと気がつくと、ホタルの乱舞は止んでいた。
目を閉じてみても同じだ。
ずっと遠くに、何万光年も先の光。
ともすれば既に消滅しているかもしれない星の光が、藍銅鉱から染み出す金青《こんじょう》の宙《そら》に散りばめられていて、それらは金剛石や柘榴石、金紅石が砕けた粒子みたいに見える。
宙《そら》にもこちらと同じく山と谷があって、その綺羅綺羅とした原石達は、違わず谷間に流れ積もるらしい。
そして、あの天の川が創り上げられるまでの果てしない時間と、金青《こんじょう》の宙《そら》までの距離を想うと、底知れぬセンチメンタルが込み上げてくる。
ずいぶん遠くまで来てしまった。
もう、後戻りはできないのだ。
という実感が、不意に心身の隅々にまで染み渡る。
フィー……フィー……
河鹿蛙の声が、耳に甦る。故郷の音だ。
宙《そら》が滲んだ。
ふうぅと、また長い息を吐いて、今度はごろりと寝返りを打った。己の泉から湧き出た雫が、少しだけ頬にかかる。
ふと、既に霧散したと思っていたホタルが二匹、視界に入った。
一匹は時を忘れて中空を彷徨っている。もうひとつは、すぐ近くの地べたに張り付たまま、全く動かない。
ただ、どちらも呼応するように、同じ光を帯びている。
舞う方は相手が決して振り向いてはくれないとわかっていながら、懸命に詠んだ歌を贈り続けるような健気さだ。一方はまるで動かない。
あまりに動かないので、不思議に思ってそっと手を伸ばした。迷いつつも、驚かさないように慎重に指先で触れてみる。
光が止むことはない。
「なんやぁ。石かぁ」
なぜか、ほっとする。
ホタルの光を帯びたその石は、驚くほど手に馴染んだ。
蛍石《フローライト》。
無意識に握りしめていたその石を、なんとなく、そう名づけた。
そして自分が、その石をお守りにでもしようとしているらしいことに気づいて、腹の底から可笑しくなる。
でも…………
緊張を伴ったまま、そっと手のひらを開く。
今もなお淡い光を秘めたその石は、無情にもふわりと飛び立ってしまうことがない。
それがほっとした理由だとわかった。
近くで寄り添ってくれる何かが欲しいのだ。
ずっと、欲しかった。
その光を眺めながら、故郷を想う。
今度こそ、本当に眠ろう。
そして明日も、石を積むのだ。この賽の河原で。
いつまでも、いつまでも。
ご覧下さりありがとうございます。書く力は灯火のようなもの。ライトに書ける時も、生みの苦しみを味わう時も。どこかで温かく見守ってくれる方がいるんだなあという実感は救済となります。