見出し画像

新約聖書は「意味のパワー」を示している

意味を与えると人は豹変する。これをよく示しているのが新約聖書福音書の物語です。福音書の物語にはさまざまな示唆がありますが、最も重大な示唆の一つとして「意味を与えられた人は豹変する」という点が挙げられます。
ペテロをはじめとしたイエスの12人の弟子たちは、イエスの生前においてはまったく見るべきところのない意気地なしの集団に過ぎません。イエスが処刑される際にも誰ひとりとして助けようとせずに逃亡してしまう、まさに「残念な人たち」の集団です。

そんなことは全然知りませんでした。
宗教にそんなに興味が無いので当たり前ですが(^^;;

ところが、この弟子たちは、イエスの復活後、炎のような強さを持った伝道師集団に豹変します。
しかし、この弟子たちは布教の成果を見届けられず、悲惨な拷問を受けた末に殉教してしまいます。

彼らが拷問を受けた理由は言うまでもなく、禁教とされたキリスト教を棄教せず、信仰し続けたからです。あれほど情けなかった弟子たちが、過酷な拷問を受けながらも信仰を捨てず、福音を伝えることに命をかける「炎の伝道師」へと豹変したのです。

なぜイエスの弟子たちは「豹変」したのでしょうか。それは、自分たちの人生に「意味」を見出したからです。その意味とはつまり「キリストの福音を世界に延べ伝える」ということです。その「意味」が与えられただけで、彼らの能力や行動は非連続的に変化しました。
このエピソードはそのまま、意味を与えられるリーダーが、いかに他者から大きなエネルギーを引き出すことができるかを示しています。

人生に意味を見出せば、拷問にも耐えられるのか。。
なかなか想像出来ないことではあります。
人生の意味っていうと、「世の中の役に立つ事を成し遂げたい」とか、そんな感じでしょうか。しかし、現実問題として、生きていくために仕事をするという感覚もあるわけで、そういう人に意味を与えるのは難しい。


ここまで読んで頂きありがとうございます😊