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フィリピン留学を終えて

フィリピン大学ディリマン校に半年間留学していた。ありきたりな感想だが、行く前はどうなるか不安だったけれど、終わってみたらあっという間だった。友達に、「フィリピンはクレイジーな場所だから気をつけろよ」と言われて送り出されたことをまだ鮮明に覚えている。

今までの自分の人生からして、自分が東南アジアに、ましてやフィリピンに留学するなど考えもしなかった。とんでもないところに来てしまったと、毎日のように思っていた。

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人は自分の過去を正当化して生きるものだと聞いたことがある。

その点からすれば、留学をきちんと自分のなかで消化できるようになったのは11月に入ってからで、それまでは「どうしてこんなところに」とばかり思っていた。インターンをしたり、イベントのお手伝いをしている友達を見ては、周りに置いていかれているような気がして焦燥感ばかりが募った。そもそも目指すところが違うのだから、やっていることが違って当たり前だと思えてからは、自分をどうにかこうにか正当化できた。

今思えば、自分もそれなりに勉強していたし、勉強しようと思って留学したので、なにもしていなかったわけではなかった。ただ、それを自分で認められなかった。認められるようになったのは、同じように研究者を目指している友達に会い、一緒に勉強するようになってからだと思う。環境は大事だ。

友達と言えば、自分の価値観を認めてくれる人にたくさん出会えたのはすごく大きかった。今までは、周りに自分と同じ道を目指すような人がいなかったこともあり、自分が目指すものの価値を自分でも認められていなかった。こっちでは、みんな目指すところが違い、それぞれがそれぞれの価値を認めているような気がした。また、目指すところは違えど、全員がそれに向かって行動なり努力なりをしていた。そういう環境は稀有だし、そこにいられたことを今となってはものすごく感謝している。

いろいろな国籍の人と友達になり、それぞれの価値がぶつかり合うなか、お互いの価値・文化を尊重する大切さを身をもって感じた。日本は他のアジアの国々と(戦時中に)いろいろあったから、フィリピンや他国の留学生との関わりで自分なりに気を遣うこともあったが、彼らはあまり気にせずに、ときにジョークも交えて応えてくれた。彼らなりに思う部分はあるのだろうが、個人と個人の関係に歴史や政治を介在させないという意識は、これまでの自分にはあまりなかった。

また、留学先には自分よりも精神的に成熟している人がたくさんおり、その人たちには、未熟な自分の精神を大きく引き上げてもらったと感じている。特にどのような点で、と言うのは難しいけれど、少なくとも前よりは大人になったし、病むこともなくなった。あとはまあ、フィリピンはわりとどこも危険だし、危険なとこをぷらぷらとひとりで歩いたりもしてたので、よくも悪くも「死にたい」より「殺す」が先に出るようになった気がする。

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なんて、いいことばかり書いているけど、留学中はむやみやたらに悩んだし、ベッドで泣いたりもしたし、内向的で主体性のない自分を責めては眠れなくなったし、はっきり言っていいことなんて数えるほどしかなかった気がする。それでも、「とりあえず行けばなんとかなる」というメンタルは完全に培われたので、あれはあれでよかったとしよう、うん。

と、留学から帰ってきた2ヶ月後にその反省を投稿するのもおかしな話ではあるのだけど、まあ、いいでしょう!許してね⭐︎

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