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『イワン・デニソビッチの一日』幸福な人生の過ごし方

 「なんで俺はこんなクソみたいな会社の係長とかしてるんだろう。つまらない毎日だ。こんな感じで俺は定年まで過ごすのだろうか。ああ、金持ちになりたい。大逆転して幸せになりたい。まずは金だ。金を掴んで幸せになってやるぜ。」多かれ少なかれ、こんなことを考えて生きてきた。面白くない、充実していない、ありきたりの、幸せだと胸を張って言えいないような、人生を歩んできた。そして、それを与えられた境遇のせいにしてきた。

 こういう人は、この本を読むと幸せになれるんじゃないかと思う。そう思い込ませるような”何か”ではなく、文字通りの意味で。幸せになるためにはこうしなさい、とかが書かれている本ではない。小難しい理論や、哲学や坐禅や引き寄せの法則や宗教や信じるべきことなどは書かれていない。感謝しなさいとか、他利を考えよとか、そんな高尚なことも一切書かれていない。

 本のタイトルの「イワン・デニソビッチ」は、旧ソ連の強制収容所に収容された囚人である。「ああ、戦争中に強制収容所につれていかれてしまうなんて、可哀想な人だ、それに比べてなんて現代の日本に生きているわたしは幸せなんだろう…」というものもない。また、「強制収容所という最低の状況のなかでも、人格を清く気高く保とう」というような、おとぎ話が書かれているわけでもない。むしろ、逆だ。ヒーローも賢人も偉人も出てこない。夢も希望もない。ただ、したたかな男が一人でてくる。

 だから、まあ、正直に言って、つまらない。途中でなんども読むのをやめようかと迷う。義務感でとりあえず、最後まで読もう、と頑張る。山も谷もない。ドラマ要素ゼロ。ただ、イワン・デニソビッチが、収容所でのありふれた一日を過ごしているだけなのだ。考えたこと、やったことが、朝起きてから夜寝るまでの時系列にそって展開される。

 後半くらいまで読むと、ふと気づく。「あれ?これは何の本を読んでいるんだっけ?」確か、無実の罪で人権を剥奪され、酷寒の地で強制収容所生活を強いられている人の話だよな?寒さに凍えながら野外で朝から晩まで働かされた挙句、食事もろくに食べさせてもらえない人なんだよな?何かが、おかしい。そう、読んでいる間に、このイワンがむしろ生き生きしている、まさに「生きている」ことに気がつくのだ。

 その違和感が正しいことは、最後に見事に証明される。「内蔵どもが食事に向かってもがき始める」ほど、うまい食事にありつくためにはどうすればいいのか。”本当に生きる”にはどうすれば良いのか。幸せになるにはどうすれば良いのか。それが、この本に書いてある。

 そういえば、私も強制収容所に負けず劣らずの牢獄に住んでいる。会社という牢獄、家庭という牢獄だ。ありきたりの、つまらない生活の中にいて、どうすれば幸せに本当に活き活きと生きていけるのか、はっきりと見えた。

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