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もう無理だって諦めていい

自分で言うのもおかしな話だけど
私は結構《真面目》な人間だ。
周りからも、そういう印象なのか
「ことは、本当、真面目だよね!」
と、言われることも多い。

きっとこの言葉は褒め言葉で
喜んでいいものなんだと思う。

だけど、この《真面目》さが
苦しい原因なんだと理解してから
私の心は軽くなった。


私の真面目さが
どうして作られたのか
思い返してみると
姉の存在と、
母の言葉から始まったような気がする。


私には姉が1人いる。
自由奔放で、やる時はやるが
やらない時は全くやらない。
ON/OFFがハッキリしてる人種。

そんな姉は母を良く困らせていた。
学校はサボりまくるし、
高校生の時の朝帰りは当たり前。
親に反発し、口喧嘩なんて日常茶飯事。
姉が包丁を持ち出して
「殺してやるッッ!!」と暴れたこともあった。

母は私によくこう言っていた。

「お願いだから、お姉ちゃんみたいにはならないでね。」

姉の様になりたいと
思った事は無いけど、
母が求める
「お姉ちゃんみたいにはならないで」
という部分に
縛られた気持ちにはなっていた。

羽目を外してはいけないんだな。
朝帰りは良くないんだな。
付き合う友達は選ぶべきなんだな。

そんな風に姉を見て
しちゃいけないことを
何となく無意識に自分の中で
決めていたと今なら思う。

できるだけ親に迷惑をかけないように。

これが私の中の呪縛だった。


迷惑をかけないように。
と思うことで
誰かに頼ることが出来なくなった。

力を貸してほしい。
と、お願いすることは
迷惑かな。と思うようになり

話を聞いてほしいんだけど。
と、弱音や愚痴をこぼすことも
迷惑だろうな。と思うようになった。

困ったことがあった時は
自力で何とかする癖がついた。
辛いことや苦しいことがあった時は
一人で泣いて
気持ちを飲み込むしかなかった。

どういうことなら
人に助けを求めていいのか
どこまでなら頼っていいのか
わからない。
だいぶ拗らせてしまっている。

今でも人に頼るのは苦手だ。
気兼ねなく何かを相談したり、
気持ちを吐き出せる相手は
正直、いない。


そんな半面
頼まれごとは断れない性格だった。

頼ってくれたのに断るのは申し訳ないな。とか
相談事も、勇気を出して話してくれたんだろうな。とか

そんな風に相手を思いやりすぎて
正直、疲れ切っていた。


そんな中、ゲームをきっかけに
ネットで一人の若者に出会った。
彼はどこまでも自由だった。
物事や人に対する感謝の気持ちがとても大きく
自然体でいることを大事にしている人だった。

毎日、仕事して 子育てして 家事をして
生活することに精一杯だった私には
ほど遠い思考。

『頑張りすぎだと思う。
 もっと自分を大事にしたらいいのに。』

と、彼は私に言った。
その言葉を当時の私は
素直に受け取れなかった。

まだ学生で実家暮らしで
自分の為だけに時間もお金も使える
そんな若者に私の何がわかるというんだ…
と、イラついた。

私が頑張らなかったら
娘はどうしたらいい?
生活はどうしたらいい?
食事は??洗濯は??
誰かがやってくれるというのか…
誰も助けてくれないじゃん。
私が頑張るしかないじゃん。

そう思っていた私に
彼は続けてこう言った。

頑張らなくていいよ。
 一日くらい
    ずる休みしてもいいじゃん。
 もぉ今日だけは何もできない!って
 1度、全部手放すことの方が
 今のさくことには
 頑張ることより
    ずっとずっと必要だと思う。』

その言葉を聞いて
私は自然と泣けた…

あの日のボイチャを
私は今でも鮮明に覚えている。

あぁ…私、頑張らなくてもいいんだ…
もぉ辛いよ、疲れたよ。って
弱音を吐いても良いんだ…

そぉ肩の荷を下ろせた瞬間だった。


当時、旦那は仕事に行けない日が多く
行けなかった日は一日中、
寝て過ごしている状況だった。
でも、土日になると元気になって
外出しよう!と誘ってくる。
遊びに出かけることが
娘の為になることも
平日、仕事に行けない旦那の為にも
なるってことも理解できたけど、
一週間、一人で全てを頑張っている私からしたら
調子が良すぎて、心を疲れさせる原因の一つだった。

旦那のこともあったから
一人で頑張りすぎてたと今なら思う。

仕事に行けず、
一日ベッドで過ごす旦那に
辛いんだ…しんどいんだ…なんて
話せなかったし
家にいるなら、
家事をしておいてほしいとか
園帰りの娘の面倒は
少しくらいやってほしいとか
言えなかった。

私がやらないと、
私が頑張らないと、
私が何とかしないと、

そんな風に自分をぎっちぎちに
縛り付けていたから
『頑張らなくていい』なんて
考えもしなかった。


恥ずかしいことに
あの日のボイチャで
今までため込んでいた
辛かったことやしんどいと思っている事
旦那の愚痴や子育ての孤独さなんかを
二十歳をちょっとすぎた青年に
恥ずかしげもなくボロボロと
こぼしまくった。

彼は、私の気が済むまで
話を聞いてくれて
何一つ否定することなく
そうか、そうか。それは大変だったね。
と聞いてくれた。

良くできた人だな。
って思うと同時に
人の心に寄り添うのが上手な人だな。
とも思った。


それから、私は
「頑張ること」をやめた。
細かく言うと
「無理してまで頑張ること」をやめた。

私は母でもあるし、妻でもあるけど
それ以前に
私という1人の人だということ。

持てるキャパには限界がある。
支えられる重さにも限度がある。
全てを持とうとしたら
私が壊れてしまう。

私が私を大事にしないで
誰が大事にしてくれるのか。
私が私を大事にする事を
まず、大切にしようと思った。

その為に

もうこれ以上は無理です!
と、諦めていいし、手放していい。

仕事も、何でもかんでも引き受けず
出来ない理由をきちんと述べて
相手に理解してもらう。

娘にも、ママは今、ヘトヘトだから
少しだけ、休憩させて欲しい。
と、丁寧に伝える。

旦那にも、
貴方も辛いかもしれないけど
私も辛い。
全部は、もう出来ない。
限界です…、と伝えた。


諦めること、手放すことは
捨てる事とは違う。
投げ出す事とは違う。

自分を受け入れて
理解するということ。

もうこれ以上は無理だな。
苦しくなるな。
だから、これ以上は 無理です。
じゃぁ、無理せず
生きていくにはどうして行くのか。
1歩ずつ、前に進むための解決策を
考えるということ。

もう無理だって諦めていい
ひとりで全部を抱え込む必要はない。

この手に抱えられるものには
限界がある。
自分の手で大切に守れる分だけを
抱えていく。

その為の取捨選択は
きちんと自分で見極めて行こう。



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