見出し画像

そりゃ、ダメになるよ【社会人編②】

前回1~3社目までを振り返ってみたけど
本当に行き当たりばったりで
なんの目的もなく仕事をしているな…
と改めて思う。

こんなに自分の職歴を
時間かけて振り返ることってないから
本当に失業はいい機会だったと思う。

誰のためにもならない
自分のためだけの棚卸。
今日もやっていこう。




【4社目】

転職4回目ともなると
履歴書の職歴欄が多くなり

私は仕事を続けられない人間です。

と、宣言しているみたいで
気まずかった。

面接では自分の経歴を正当化できるように
サロンで学んだトーク術を駆使して挑んだ。

当時、不満に思っていた術が
こんなところで活かされるなんて皮肉だな。
なんて思っていたけど
採用されて、数年後に採用担当者に
採用の決め手は何か尋ねてみたら
【人柄】と即答され
なぁんだ。と拍子抜けした記憶。

ある意味、あのトーク術は
なんの力も発揮していなかったのかと
ちょっと面白く思う。

そんなこんなで、この4社目で
店舗事務を13年間勤めあげた。

最初の半年は
3店舗掛け持ちしていた先輩と
2人態勢で勤務し
その後、先輩は2店舗掛け持ち事務員となり
私は1人で店舗事務を回すことになった。

数年もすると、新しい店舗ができ、
私も2店舗掛け持ちすることになり
大変ではあったけど
任されているというやりがいと
居心地の良さに満足した職場だった。

そんな職場を退職した理由は『離婚』だ。
正確には、

夫の突然の失踪。

4社目で、結婚、妊娠、出産、復帰を経験し
産前産後休や育休なども
気まずさが1ミリもない
本当に思いやりのある対応をしてくださって
この会社には感謝しかない。

ただ、復職時には短時間勤務を希望したことで
正社員なのに給与が時給計算にされたことだけは
ん?とは思ったけど
赤ちゃんを育てながら働くというのは
本当に大変で
いろいろイレギュラーなことも多く
こんな状態でも働かせてもらえることに
感謝しかなかったし
当時は夫が大黒柱だったのもあって
私の給与はそんなに重要ではなかったから
気にしないことにした。

そんな私が突然、
一馬力で生きていかなければならないとなると
到底 生活していける給与ではなかった。

店長や、マネージャーにも
事情を話し、相談してみたものの
売り上げも低迷していたし
給与形態を戻すことは難しいと言われた。
さらに
全ての店舗事務業務を
支店で行う事業形態に代えていく予定であることを
その時、告げられ、途方に暮れた。

1つの提案として
支店へ異動してくれれば
給与形態を変えてもいいという話が出たが
その場合は勤務地がかなり遠くなる。

まだ保育園通いだった娘を育てながら
支店への異動は難しいと思い
仕方なく退職する形だった。

次の勤め先が見つかるまでは
在籍していてかまわないという
優しい言葉に甘え
仕事をしながら、職探しをし
子育ても頑張ていた。

夫はある日突然帰宅せず
音信不通になったため
夫の捜索も同時に行っていた。

精神的には本当にズタボロで
当時5歳だった娘のメンタルも
少しずつ変わっていっている事にも気づいていたし
自分の無力さに死にたくなるほどだった。

そんな中、正社員はなかなか採用が決まらず
早く収入面を何とかしないといけなかったので
一先ず派遣として働くことにした。

お世話になった4社目を退職する日は
自然と泣けた。
一緒に働いていた人たちも好きだったし
本当に悲しくて寂しかった。


【5社目】

工場のサポート事務として勤務を始めた。
初めての派遣だったので
いろいろ不安はあったけど
前任の方の仕事ぶりが良くなかったようで
過大評価されて、気分はよかった。

仕事が早くて助かるよ!
プラスアルファで対応してくれてありがとう。

そんな風に感謝されながら働ける職場だった。

派遣の3年ルールで満期満了まで勤務。
満期満了後、直接雇用の話が出ていたけど
満了2か月前にヘルニアになってしまい
「工場の現場に携わる業務なので、
 不調があるとなると、申し訳ないが雇用は難しい」
と断られてしまい
新しく勤務先を探すことになった。


【6社目】

派遣は次の仕事が決まりやすくて
本当にありがたい。
前職よりも時給が150円も上がったし
年収で考えてみても
13年間務めた正社員だった時よりも
はるかに良かった。

外資系の商社に
購買・営業事務として派遣されることになり
会社のグローバル感に圧倒された。

会社内にカフェがあったり
ちょっとしたジムがあったり
コーヒーも飲み放題だった。

先輩との関係も良好で
とても楽しく働けてはいたけど
今後ずっと こうやって
3年おきに仕事を変えるのか…
と、ふと考えた時 ゾッとした。
40、50になった時も
今みたいにすんなり次って決まるのかな…って。

そこから、不安が加速したのもあって
正社員へと復帰したいと思い
派遣をしながら、転職活動をし始め
半年かけて正社員雇用が決まって
歓喜した。


【7社目】

土木・建築の経理事務として入社。
正社員雇用とはなっていたけど
使用期間中は契約社員だった。

先に話すと、
ココは2か月で雇止めとなり
現在に至っている。

私の他に、もう一人
一般事務として採用されている人もいて
先輩あわせて3人態勢の事務職だった。

ただ、先輩の教え方が
今までの社会経験の中で
ずば抜けて最悪で分かりにくく
マニュアルは一切ない。
全てが口頭説明の引継ぎだった。

先輩の自己流業務が多く
イレギュラーな業務を
どんな風に対応するのか尋ねる度
いちいち手が止まる。
効率は最悪でストレスがすごかった。

先輩は12月末で退職されるとのことで
引継ぎ期間は2か月あったけど
一般事務の仕事と経理事務の仕事
それぞれを一人で教えていたこともあって
全く思うように進まず…
最終的に『能力不足』と言われ
たった2か月で見切られてしまった。


これが私の職歴だ。

これだけの職場を経験すると
順応性が備わってくる。

それは自分の強みになったんじゃないかなって思う。

いろんな人と関わることで
いろんな人がいることを肌で感じて
嫌だなって思う人がいても気にしなくなった。
これも、自分の成長の一つだと思う。

多すぎる転職は、
あまりいいものではない とされるけど
私の中では一つ一つの学びにつながっている。
ただ、それは他の人には全く届かないし
気づいてもらえない部分であることも
理解してる。

さて、私はこれから
どうして行こうか…

口座残高をみると
ゆっくりもしていられないけど
焦ったら、また職歴を増やすだけな気がするし…

転職を悪くは思っていないけど
転職をしまくる人生にしたいわけでは
ないんだよな。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?