見出し画像

自分を受け入れると何かが動き出すカラクリってあると思うという話。

いきなりストンと落ちたことがある。
いわゆる腑に落ちたというやつです。

2月の最後の土曜日。月末にだいたい参加しているオンラインカフェに朝5時から参加し、VoicyとスタンドFMでまいちんさんとKanaさんとのコラボ配信を土日とかけて聴くこととなった。
どうやらこの流れがものすごく良かったと見えて、なんかいろいろなパズルが一気にはまった感じがした。
その前からこの一連の流れは始まっていたのかもと思いました。

実はこういうことは以前にもあって、
あれが最終系なのではないかとその時は思っていたのだけど、実はそこからは何も変わっていなかったんです。
だからと言って今回すごい変わるのか、というとそうでもない気がするんだけど(弱気)
でもここ何年かで一番でも静かにビビッと来たように思います。

私は、ジャーナリングを2021年の10月に始めて約一年半。
いろんなことを書いてきたつもりだったけど、
自分を掘り下げているようで、多くは相手や自分ではどうにもできない外的要因に目をむけていました。
自分がどう思ったということは感じられたけど、すぐに○○がこうだから、とこれがこうなればうまくいくみたいな方へ書き進めていたように思うのです。
自分がどう思うのか、そう思うんだねー…と俯瞰しているようでできていなかったのではないか、ということに気づきます。

私は、仕事や対外的にはある程度評価されていたり、認められているとは思えているのだけど、
一番理解してほしい家族には、評価されない、認めらない、わかってもらえないといつも思っていたし、実際そういうことも起こってしまった。
それは母親だったり今の家族だったりなのかもしれない。
これだって結局外側から認めてもらうことを乞いてるわけで、自分がその前に
「頑張ってる自分」を認められていない、ということがわかった気がするんです。

だれかに認められるんじゃなくて、
自分が自分を認めること。

私、多分頑張っているんだと思うんだけど(自分で言っちゃう)まだまだだ、まだダメだ、もっともっと…と必要以上に課している気がするんです。
どこまで行っても天井がないこの課題をずっとずっと課してる気がするんです。
頑張ってるよ、もういいよって誰かに背中をさすってもらえたとしても、「いいや!まだまだ!」と言ってしまいそうな自分がいる。
何か足さないと足りない気がして、資格とったり学びを得たりしていたわけですが、
いまいちだったのはいつもどこかで感じていた、このままの私ではダメ、という感覚。

そうじゃないんだな、いろいろ起こることも含めて私は私なんだろうな、と。

そしてこんな私でいっか!とある種、諦めるというか引き受けるといろんなことが動き始めた気もして…

その話はまた改めて書こうと思います。

いつもまとまりのない話をお読みいただきましてありがとうございます。

この記事が参加している募集

#今こんな気分

74,924件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?