新幹線と各停
僕には、定期的に思い出す恩人の言葉がある。
その言葉は、今も僕の心の中でどっしりと鎮座していて、ふとした時に出てきては僕を落ち着かせてくれる。
今日はそんな言葉の話。
あれは2005年、冬の終わり頃。
どこにでもいる普通の大学生だった僕は、高校の時の同級生で親友のわーやん、とーえ、けんじの3人とすごろく電車旅をした。
すごろく電車旅のことを説明したいところだが、まずは一緒に行った同級生たちを紹介したいと思う。
わーやんは、僕をお笑いの世界に誘った元相方で、見た目も発想も面白い、行動力のあるちょい太めの男。
とーえは、僕らの高校の僕らの学年のツッコミといえばこいつみたいなツッコミの天才。
勉強は出来るけど、天然な男で愛らしい奴。
けんじは、運動神経抜群の窪塚くんとか成宮くんみたいな男前。
自信に満ち溢れていて、いつも男らしい真っ直ぐな男。
ざっくりだけどそんな3人。
全員めっちゃええ奴。
そして、すごろく電車旅とは、電車に乗る前にサイコロを振り、出た目の数だけ駅を進んで、その駅で降りて何かしらをして、またサイコロを振って次の駅へ移動するという、桃太郎電鉄の実写マジ貧乏版だ。
JRの青春18切符を買って、大阪から福岡を目指す旅だった。
まず最初にサイコロを振って決まった駅は、兵庫県の須磨駅だった。
あまりちゃんと覚えていないけれど、大阪から須磨までは結構な距離があるから、サイコロは4つくらいでやってたのかもしれない。
まぁとにかく須磨に着いた。
須磨といえば海水浴場がある場所なのだが、季節は冬。
ダウンジャケットを着ているような気温だったので、もちろん海には入れなかった。
ほんの少しだけ4人で海を眺めて、朝食を買おうとコンビニへ行った。
各々がそれぞれの朝食を買い、コンビニの広い駐車場の片隅で食べた。
なんとも言えないスタートだった。
海は見たので、何もしていないわけではない。
でも何か特別なことをしたかと聞かれたら決して全力で首を縦に振れない。
ロールプレイングゲームで、全部クリアした後にレベルをマックスにしようと敵と戦って経験値を得るけど、ほぼマックス状態だからレベルが上がるほどの経験値は得られずに、時間になってその日のプレイを終えた時の感じ。
何かはしたけど、別に何も変わっていない状態。
でも経験値ゼロというわけではない。
本当になんとも言えない時間だった。
おそらく4人とも思っていただろう。
なんとも言えないスタートだな、と。
食事を終えて、そのままコンビニの駐車場でサイコロを振った。
次にサイコロが導いた場所は岡山県の和気駅というところだった。
この辺りもちゃんと覚えていないが、須磨から和気の距離を考えると何かしらズルをしていたと思う。
サイコロを増やしたか、単純に数字を増やしたかは覚えていないが、うっすらと記憶にあるのは誰がが言った「このペースで行ったら福岡まで行けても帰ってこられへんで。」という台詞。
こんな台詞が出てきているのだから、ズルをしていたに決まっている。
覚えてはいないが、絶対していただろう。
ズルをしたかどうかは置いておいて、とにかく和気駅に着いた。
後になってわかったことだが、この和気という場所は同期の見取り図リリーの地元だった。
NSCに入って、リリーと仲良くなってから知って、その時はリリーに対して何か運命的なものを感じた。
駅に降り立ってみると、『和気富士』という山があることを知り、そこに登ってみることになった。
まだ若かったので難なく登った。
山の上から見た景色は
「今でもあの景色を覚えている」
とは決して言えないくらいの景色だった。
本当にほとんど何も覚えていない。
でも登った甲斐ないというほどの残念な景色ではなかったはず。
誰のテンションも上がっていなかったことは覚えているが。
山を降りて、駅の方へ歩く。
山に登ったというのは、僕たちの中では誇れることだった。
須磨での「海を少し眺めた」に比べたら、格段に何かしている。
駅前に着いてまたサイコロを振った。
おそらくサイコロを振る前に和気の食堂でお昼ご飯を食べた。
もちろん覚えていない。
もうお気付きだろうが、僕は過去のことをほとんど何も覚えていない。
映画やドラマ、小説なんかの内容も忘れるし、思い出の場所や思い出の言葉など、基本的に全て忘れる。
逆に言うと覚えていることはとても珍しいので、僕に何かしら覚えられている場所や人は誇ってもらっていい。
誇ったところで、ではあるが。
とにかくサイコロを振った。
ここはちゃんとズルをして、次は尾道駅に降り立つことになった。
尾道はタッチして戻ってくる、くらいしか居なかった。
尾道ラーメンでも食べようと話していたが、たしか駅前にあったお店が定休日とかで開いていなかった。
日も暮れていたので、そこからラーメン屋を探すよりも、先に進もうということになり、もうサイコロも振らずに広島駅に向かった。
繰り返します。
サイコロも振らずに広島駅に向かった。
ズルどころではなく、完全に破綻してしまった。
でも誰もそのことに触れないし、あたかもそれが当たり前のように振る舞った。
まぁ、よく考えたらそれが当たり前ではあるけれど。
何はともあれ、静かに広島駅に到着した。
その頃には夜も更けていたので、簡単に食事を済ませ、駅地下とでもいうべき場所で野宿することになった。
それぞれが寝袋に入って、睡眠をとる。
数分後に巡回する警備員さんがやってきた。
「ここで寝たらダメだよ」と優しく注意をしてきた。
僕たちは相当うろたえた。
外に出て野宿するには寒すぎると感じていたからだ。
おまけに天気も悪かった。
そして警備員さんに懇願した。
この辺りで寝させて欲しいと。
すると警備員さんは、この辺りは防犯カメラがあってそれに映るから、少し移動して階段のそばに行くように指示してくれた。
防犯カメラに映らないから、その分警備員さんがその辺りをしっかりと巡回してくれるということだった。
おそらく、そんなことをしてはいけなかったと思うが、あの頃はまだ人情ってものがあった。
僕たちはその警備員さんの人情に助けられた。
翌朝、それぞれが誰からともなく起き出した。
僕はというと、寒すぎてほぼ寝れなかった。
というのも、これは帰ってからわかったことだが、僕の寝袋は春・夏・秋用だった。
ちょうど冬だけ抜けていた。
帰ってから父親に「この寝袋寒かったわ」と伝えると「そうなん?あ、ほんまや。これ春・夏・秋用やわ。冬はあかんわ」と言って笑った。
僕は何笑ってんねんと思った。
起きてから、少し広島の街をぶらぶらし、また電車の旅へと戻った。
駅に戻ってきて、さぁどうしようという相談をする。
そこにはもう、サイコロはなかった。
当初の目的では福岡まで行って帰ってくる、という予定だったが、そうすると日程的に帰って来れないんじゃないかという話になり、僕たち4人は下関で折り返してくることにした。
サイコロはリュックの奥深くに仕舞われたまま、僕たちは下関に向かった。
お昼過ぎくらいに下関に着き、漁港の方へ向かうことにした。
そして各々がなけなしのお金を使って海鮮丼を食べた。
さすがに漁港近くのお店ということで、海鮮丼はすごく美味しかった。
写真も撮った。
もう残ってないけど。
全員がお腹を満たし、大阪方面へ戻ることとなった。
ただ、せっかくなので途中で温泉でも入りたいなと誰かが言った。
その時は今みたいにスマホですぐ検索すれば近くの温泉が出てくるというわけではなかった。
なんなら地図アプリもなかった。
というかアプリなんてなかった。
携帯は電話とメールをするためだけのものだった。
なので、紙の地図を広げて温泉を探した。
すると帰り道の途中で乗り換えて少しいけば温泉があることがわかった。
僕たちはそこに向かうことにした。
サイコロに意思があれば、そろそろキレてる頃だったと思う。
乗り換えの駅に着くと、そこから出ている線路は単線だった。
とにかくすごくローカルな雰囲気だった。
温泉があるとされる駅に着いた時、「こんなところに何か建物があるのか?」というくらい森だった。
地図を見ながら温泉があるとされる方へ歩く。
少し歩くと、そこに確かに温泉があった。
駐車場なんかもあって、賑わっている雰囲気だった。
脱衣所に着くと、僕たちは盛りのついた男女の夜くらいのスピードで服を脱ぎ、温泉に入った。
全員が「生き返るぅ」と言ったと思う。
死んでないのに。
石鹸やシャンプーなど、何も持ってきていなかった僕たちは、他のお客さんから貸してもらった。
なんなら向こうから声をかけてきてくれた感じだった。
さっぱりした僕たちは、縁側みたいな場所で少し休むことにした。
そこに、さっき石鹸やシャンプーを貸してくれたおじさんがやってきて、僕たちに話しかけてきた。
僕たちが自分たちのしている旅のことを話すと、おじさんは「じゃあ夜ご飯どっかでご馳走したろうか?」と神の使いかと思うような申し出をしてきてくれた。
僕たちはいい時の猫くらい甘えることにした。
後から知ったが、この時わーやんととーえは「こんな見ず知らずの人について行って大丈夫なんか?」とビビっていたらしい。
今思えば確かにそう。
すぐ付いて行こうとした僕とけんじの方がおかしい。
温泉を出ると、車で僕たちを山口市内にある、おじさんの行きつけだという居酒屋さんに連れて行ってくれた。
ビールもろくに飲めなかった僕は、カシスオレンジを飲ませてもらったことを覚えている。
美味しい料理と美味しいお酒をご馳走になりながら、たくさんお話をさせてもらった。
その中で、僕とわーやんが来年から吉本のお笑い養成所N S Cに行くという話になった。
お笑いを始めるにあたって、コンビ名をつけないといけない。
僕たちはコンビ名を二択のどちらにするかを迷っていた。
一つは、コンビ名をどうしようかと、わーやんと二人で話し合った時に、わーやんが「ダウンタウンとかナインティナインとか「ン」が2つ入ってると売れるらしいで」言ったことに対して放った僕の「そんなジンクスとかもうええやろ」という一言から決まった【ジンクス】というコンビ名。
もう一つは、わーやんがその当時好きだった劇団の名前「劇団⭐︎新感線」からとった【シンカンセン】というコンビ名。
この二つで迷ってることをおじさんに伝えた。
するとおじさんは、
「新幹線で飛ばしながら早く行くより、各停で一駅ずつゆっくり行くほうがいいんじゃない?」
と言った。
その一言に4人ともが心を撃ち抜かれた。
すごく素敵だなと思った。
急いだって仕方がない。
それよりも、もっとしっかり周りを見ようよ。
そんなに急いでたら、大切なものや素敵なことを見逃してしまうよ。
そう教えてくれた。
この言葉が、僕の心の中に鎮座している言葉だ。
すぐに僕とわーやんは「シンカンセンやめます!ジンクスにします!」と言って、コンビ名は【ジンクス】に決まった。
お腹も胸もいっぱいになった頃、おじさんからこの後はどうするのかという質問がきた。
僕たちは、どこかその辺で野宿するつもりだという旨を伝えた。
するとおじさんは、「うちに泊まるか?」という今まで聞いてきた7文字史上、最も素敵な7文字の言葉を発した。
なんでもおじさんの家は、離れがあってそこは普段あまり使わないから自由に寝てくれていいということだった。
僕たちは、90度を越える角度でお辞儀をして、お世話になることにした。
居酒屋を後にし、おじさんの車でおじさんの家に向かう。
今考えたら、おじさんは運転があるからお酒も飲まずに僕たちにご馳走してくれていた。
優し。
家に着くと奥さんが出迎えてくれた。
お子さんもいらっしゃった。
リビングで少しお話をしていると、なぜおじさんがこんなにも親切にしてくれるのか説明してくれた。
実はおじさんは若い頃、九州を一周する野宿の旅をしたことがあり、その時に今回のおじさんのように、家に泊めてくれたおじさんがいたそうだ。
おじさんはその時、いつか自分にもそんな機会があれば同じように助けてあげたい、と思っていたということだった。
優しさが巡り巡っていた。
誰かの優しさを誰かが受け取って、その優しさをまた別の誰かにバトンタッチしていた。
なんて素敵な連鎖だろうか。
連鎖ってぷよぷよでも嬉しいのに、現実でのこんな連鎖は「ばよえ〜ん」だ。
この優しさの連鎖を途切れさせるわけにはいかないので、僕もいつかそんな日がきたら若者を家に泊めてあげたい。
一緒に旅をした4人ともが、そう思っているに違いないだろう。
その日の夜はみんなすぐに寝た。
布団は寝袋とは違ってすごく温かかった。
完全に冬仕様だった。
翌朝、おじさんは車で駅まで送ってくれた。
大阪に帰ったら連絡すると約束して、おじさんとさよならした。
帰りの電車のことは何も覚えていない。
たぶん各々が物思いにふけていたのだと思う。
かくして、僕たちの旅は終わった。
目標だった福岡まではいけなかったが、そんなことどうでもいいと思える旅だった。
人は、どんな人と巡り合うかで人生が大きく変わると思う。
逆に、自分と巡り合った人のその後の人生も変わるかもしれない。
その人が、素敵な幸せな人生を送れることを僕は願う。
そうなるように人と付き合っていけたら。
人生急がずゆっくり、誰かに受けた恩は誰かに返そう。
そう考えさせてくれる、おじさんとの出会いの旅だった。
僕は、おじさんの言葉を胸に、ゆっくり進んでいく。
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