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#086 自分の相談援助職としての魅力 その3

おはようございます。fumioです。10月8日に「#052自分の相談援助職としての魅力 その2」をnoteしています。
今日は、その3回目です。

■前回の振返り
 今でも、「どうして、fumioさんの様になったんですか?」と尋ねれることがあります。それが、その2での時期だっと思っています。
私の職業人としての姿勢のもとを築けた「する」と「される」の間ぐらいで
指示・命令・してもらえるが丁度バランスよくあった時期で、むしろ「している」(したい)かもしれないものができた時期です。
 ・仕事の進め方
 ・段取り
 ・関係性
ができたことと、それを実行することで回りからしっかりした評価を受けることの結果を体感できていました。

■思わぬ転職
 この時期は、障害者プランノーマライゼーション7か年戦略の時期とも重なり、私の出自と関係する地域に新設の施設ができることになり、障害関係の施設も少なく経験者もないことから、「是非」という感じで先方と私の勤務していた職場のTOPと経験を活かして、「お願いされる」ことになり、思わぬ転職となりました。

 高齢者介護には慣れていた職員でしたが「障害者」には慣れていなかった、新しい施設のスタートの始まり。
 ・親亡き後のことを考えてできた施設
 ・障害者の意識
この2つのポジションと障害者(年代や経験)、家族の方の考え、利用される方は、18歳から60歳の方、男女、できることも不便なこと、仕事の経験など様々でした。
スタッフも独身の男女から子どもがいる方、介護経験の有無など様々でした。それぞれの期待と思いがあって実った新しい生活の場は、今思えば、いろいろな考えが混ざったとこからでした。

■障害者施設での経験者1人の相談員
 とにかく、利用までの家庭訪問から受入れ・・そして、新しい環境で新しい生活を始める障害者・・・障害と個性と抑えられない衝動・・いろいろなものが混ざり合い、ケアと介護の考え方、道具の作り方、環境の工夫、私たちが理解より変化を受け入れる意識などをスタッフに説明したり、やってもらったり、家族からいろいろ言葉をもらったりの日々でした。

 転換点の到来、ガムシャラに突き進んできた私ですが職場的には歪な組織になっていたんだと思います。経験者ということもあり、落ち着てくると私の組織でのポジショニングが上手くなったと思います。組織運営上、やりにくくなっていたのでしょう。
 私の居場所が変わっていくきっかけが・・・異動です。

しかし、この異動が人間的にも今に生きる経験のまた一つになっていることと、組織と人の裏表を知る機会でもあったのです。その時は、感情的な行動でしたが・・・反省もありますが、感情的に行動していないと今が無いので
よかった行動だった思います。

■スキルもなにもない・・若いだけ
 できていたことの根拠や制度的なルールは、慣れの中で行動したいただけの自分でしなく、「労働」をしていただけで「専門職」「価値観」「ビジョン」もなく毎日を過ごして、短い経験のみを振りかざして、状況に向き合っただけというのを気づかされた時期でした。

 お恥ずかしい時期です。本当に(汗)その4で、またお付き合いいただける方は、よろしくお願いいたします。↓その2を置いておきます、よかったら読んでください。


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