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(56)東京国際映画祭に見る世界、そして歴史

 日本や米国から遠く離れた地の人々の生活を垣間見ることが出来る映画を、東京国際映画祭で見ることが出来る。第36回を迎える本年も、数々の国の現在と過去の時代のイメージを享受することが出来た。

『マディーナ (Madina)』

 煌びやかで派手な化粧と衣装をつけたダンサーたちの顔のクローズアップで始まる本作。ヒロイン、マディーナはナイト・クラブのダンサーかと思いきや、昼間はダンス教室や話し方教室の教師をし、幼い娘と老齢の母、失業中の弟を支えるシングル・マザーで、いくつもの仕事を掛け持ちして一家を支えている。2歳の娘の父親は娘を自分の子と認めていないので、経済的援助もない。

 舞台は中央アジアのカザフスタンで、この地でも成金らしき資本主義者たちが幅を利かせている。マディーナは言いよる男たちを交わし、心優しいが地味な隣人と結ばれるかと期待させながら、彼女は一人で生きていく。本作が長編2作目の監督、アイジャン・カッセイムベック女史によれば、主役を演じたマディーナ・アキルベックとは親友で彼女の実体験を基にしたストーリーと言う。マディーナが時々娘を連れて心を解放するように波打つ湖を見つめる場面が印象的である。パキスタン、インドとカザフスタン合作の本作は、女性が社会で直面する普遍的な問題を、個人のリアルな体験の数々から描いている。

『ロシナンテ (Rosinante)』 

 6歳の息子はなぜか言葉を発したことがなくて医師の診断結果も原因不明。失業中の父、建築の学位がありながら自宅勤務で保険の勧誘をする母は息子に苦慮し、家主から住居の立退を言い渡され家中に引っ越し準備の段ボール箱を積み上げながら家族は障害を乗り越えていく。ロシナンテと名付けられたバイクでタクシーを始める父を、母は夜中手伝おうとする。息子もロシナンテを気に入っている。

 ロシナンテとは、ドン・キホーテの駄馬の名前である。見果てぬ夢を見るキホーテに忠実な助手のように、そのバイクは家族の夢の担い手だが、思わぬ事件が彼らの夢に直面する。トルコのバラン・ギュンドウズアルブ監督は本作の脚本を製作者のデニズ・イエシルギユンと共同で書き、極く当たり前の人々の生活の喜怒哀楽を爽やか浮かび上がらせる。

『ロングショット (A Long Shot)』

 1990年代、経済難の中国東北地区の工場街が舞台である。射撃のチャンピオンのグーは難聴のため、競技を離れて鉄工場の守衛となる。寡黙だが誠実で禁欲的、そして信念を通す彼は、当たり前の様に横行する腐敗を受け入れることができず、周囲と衝突する。ある日盗みに入った若者グループの中に、互いに好意を持ち合っているシングル・マザーの女性の息子を見つけ、彼を更生させようと心を砕く。

 給料未払いが続き強盗が横行するので、工場の守衛は銃を持ち私営警官のような役割を果たしている。盗まれるのは、しょぼくれた機材や古い電線。近代化から取り残されたような裏ぶれた工場、住宅、街路の荒廃した表情が心寂しい。そんな中で人々の心にも荒廃が侵食し、組織ぐるみの腐敗と戦うグーの孤独感が強烈だ。かつて技を極めた銃から心が離れず、最後にグーはその秘めた力量を発揮することになる。映画のほとんどを占める「静」から最後の「動」の切り替えは見事で、主演のグーを演ずるズー・フォンとともにガオ・ポン監督の長編処女作とは思えない力量である。本作は実話に基づいた話だそうだ。本映画祭コンペテイション部門の最優秀芸術貢献賞受賞作。

『雪豹 (Snow Leopard)』

 チベットの山奥で白地に黒の斑点を持つ雪豹は、聖なる動物として土地の人々の間で伝統的に崇められてきた。中国政府によって保存動物に指定された雪豹は、捕獲を禁止されている。羊を9頭も襲われた牧畜民ジンパは激怒して、羊の囲いに中にいる雪豹を放とうとしない。

 その弟ニマは僧であるが、以前に捕らえられて殺されそうになっていた雪豹を逃していた。兄弟の父は伝統に忠実で、雪豹に被害を与えることを恐れている。ニマに呼ばれたかつての同級生ドラドウルはテレビ局に勤務し、現地スタッフと中国人スタッフの取材班を連れてやって来る。そこに現地の警官や政府の役人が加わり、それぞれの思いが雪豹を巡って展開する。
 雪豹の被害にあった動物への政府の補償は、被害額の半分でしかも支払いは遅れ気味と言う。精魂込めて育てた羊を襲った雪豹に断固として敵意を燃やすジンパをどう説得するか。そのジンパも、羊の囲いに囚われている雪豹を囲いの外で不安そうに見ている子供の雪豹に餌を運ぶ。この地の伝統の強さを感じさせる場面だ。
 伝統的な衣服を身にまとい、昔ながらの生活をする牧畜民であるが、ニマはデジタル・カメラで山の風物や動物を撮影するのが趣味である。ドラドウルが持ち込んだラップトップのコンピューターでBBCが製作した雪豹のドキュメンタリーを皆で見る場面もあり、最新テクノロジーはこの地にも訪れて世界と繋がっている。
 本作のペマ・ツエテン監督は、本作完成後の本年5月に急逝したが、本作は本映画祭コンペテイション部門で東京グランプリ・東京都知事賞を受賞した。

『ほかげ』

 大きな画面で見るべき映像である。室内の暗い影のニュアンスが奥深い。戦中の空襲や食糧難、そして全体主義の窮屈な社会を生き抜いた人、戦地から帰還した人、各々が焦土となった日本でさらなる食料や物資不足の中、絶望とともに希望を持って生きている。

 登場人物は少ない。闇市の一角のすすけた酒場のあるあばらやで夜の商売をひっそりと営む若い女性(趣里)、客の復員兵(河野宏紀)、そこに迷い込む孤児の少年(塚尾桜雅)、テキヤ(森山未來)で、テキヤが少年の持つピストルで何を図っているのかが焦点となる。
 『野火』のリメイクで第二次世界大戦末期のフィリピンのジャングルを彷徨う主人公の一兵卒の強烈な戦争体験を描いた塚本晋也監督。本作でよりはそうした元兵卒たちの戦後の無念が印象的だ。猥雑な欲望渦巻く闇市の中で、真っ当に生きようとする登場人物たちの祈願に寄り添いたくなる。

写真
『マデイーナ』(c) KANOKINO PRODUCTION
『ロシナンテ』(c) Alkali Film
『ほかげ』(c)2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJU THEATER

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