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(55)NY(ニューヨーク)映画祭に見るさまざまな日常

 今年(2023年)で61回目を迎えるNYで最大の映画イヴェント、NY映画祭がリンカーン・センターで9月末から10月初旬にかけて開催された。2月のベルリン、5月のカンヌ、8月末からのヴェネツイア映画祭などで話題になった作品を初め、アメリカの新作やドキュメンタリー、実験的映画も紹介される多彩な内容である。
 NY映画祭の魅力は日本でもあまり紹介されることのない世界各地からの映像が楽しめることである。そして鳴物入りの宣伝がされていたスター監督と俳優による作品に落胆することもあれば、やはりさすがこの監督と改めて納得する作品もある。そして映画祭の醍醐味は、監督や俳優についての予備知識もなく、全く期待しなかった作品の魅力に触れる時である。本年もそのような作品との出会いがあった。

アフリカの仕立て屋女性

 中央アフリカ、カメルーンの街の仕立て屋の女性の日常生活を描く『マンバー・ピエレット(Mamber Pierette)』(カメルーン・ベルギー合作、詳細はこちら)。題名は主役の女性の名前で、彼女はマンバーと呼ばれたりピエレットと呼ばれたりしている。狭い路地にある店には、近所の女性客が入れ替わり立ち替わり注文に訪れる。布を持参する客もあるが、マンバーが布屋で生地を仕入れる場面もある。女性を美しく包む鮮やかな原色の模様のドレスもあり、子供の青と白の制服もある。どの客も必ず料金を値切り、マンバーはそれに応じることもあれば応じないこともある。

 彼女は家に帰るとほぼ寝たきりの母がいて、家に居つかない思春期の息子、母の言うことを聞いて掃除などして手伝う幼い息子や娘がいる。子供たちの父は家にいない。店で勤勉にミシンに向かっていた彼女は、家に帰るとすっかり疲れている。
 彼女が店で料金を受け取りバックの中の財布に札を入れる場面が何度も出てくる。そのうちお金に関する事件が起こるのかなと思いながら見ていると、家路に向かう彼女がオートバイ・タクシーに乗って程なく、運転手によって暗闇に連れ込まれて彼女は金や身分証明書を盗まれる。それでも彼女は、生命に差し障りがなかっただけでも良かったと思うほかないようだ。
 その後大雨から洪水となり、彼女の店は水浸しになる。客のドレスや布も濡れてしまい、店いっぱいに濡れた布やドレスを彼女は広げて干す。孤軍奮闘する彼女はとうとう社会福祉のオフィスへ行くが、母親も叔母もそれだけは反対する。古い世代の女性たちも男たちに苦労させられて来たが、「文句を言うのは身内だけにして、公的機関には言ってはいけない」とマンバーを諭すのだ。しかしそうした伝統的価値観に対し、現実生活の厳しさに直面する彼女はオフィスに出向く。そして、子供たちの父と結婚していないことから補助金も容易に出ないことを知らされる。
 それでも溜息をつきながら、マンバーはミシンを踏み続ける。時にはお洒落をして友人と飲みに出かけ、彼女の縫ったドレスを着て顔を輝かせる女性たちの喜びから活力を得ているようだ。
 マンバーは近所の人たちと親しく言葉を交わし、店に招き入れる。失業していた男性が近所に水を配る仕事を始めたと報告する。その後彼は店の外にあるマネキンを見て「何かこれは可笑しい」と言う。物言わない硬質のマネキンの顔が、この周囲には見ることのない白人のものであることが観客の間にも不思議な笑いを呼び起こす。
 この映画の何とも言えない魅力はどこにあるのだろうと考えていたら、映画のプログラムの解説に、本作の「カリスマ的な」主演者のピエレットはロジンヌ・ムバカム監督の従姉(妹)であるとあった。大きな体躯に金髪のドレッドを結い上げている風貌は威力あるが、彼女が周囲の人々に声をかけ気遣う包容力と相まって独特の魅力を生み出している。その彼女の魅力で93分を持たせる映画という媒体の魔力に感じ入った。

日常生活の怖さ

 日常生活の愛おしさに満ちた上記作品と対照的に、日常生活の怖さを描くのがイギリスのジョナサン・グレーザー監督の『関心の領域 (The Zone of Interest) 』(アメリカ・イギリス・ポーランド合作、詳細はこちら)である。燦々と輝く太陽の下の川縁の緑の中、平和な一時を過ごす家族連れの人々の一団のイメージから映画が始まる。観客はそれから豪華な邸宅で何人もの家政婦にかしずかれながら生活する子沢山の一家の生活を見る。ナチスの制服に数多くの勲章を飾る当主はルドルフ・ホス、隣にある強制収容所長である。色彩豊かな四季折々の花々、手入れの行き届いた芝生、子供たちが集ってはしゃぎ声を挙げるプールの向こうは、鉄条が張り巡らされたアウシュヴィッツ収容所である。煙突からは絶え間なく煙が出てくるのは、ガス室で殺害された収容者たちの死体が運ばれる焼却炉からであることに違いない。時々聞こえる銃声や怒号が塀のこちら側で暮らす人々の耳にも聞こえて来るが、こちら側の人々は何の興味も示さないで粛々と居心地良く変哲のない生活を続けている。

 現地で雇われたというポーランド人の家政婦たちの硬い表情から、彼女たちが何を考えているのかは推測が難しい。しかし夜に自転車に乗って果物を集めて収容所付近に置いて回る女性のイメージが出てくるので、密かに囚人たちを助けているようだ。しかしその林檎を奪い合ったことで処刑される囚人を罵る看守の声を夜半に聞いたこの屋敷の幼い息子は、「今度からそんなことをしちゃ駄目だよ」と誰に向かってでもなくひっそりと呟く。
 幼い子供の養育をする女性や家政婦たちは収容所から囚人によって届けられる毛皮のコートや宝石の選定に余念がない。脱略された貴重品が示唆する元の持ち主の運命の哀しさは、それを使用するのが当然の権利のように略奪品を扱う女性たちの傲慢さから推測される。毛皮のコートのポケットに豪華な銀の彫刻が施された使いかけの口紅を見つけて、その赤い紅を鏡の前でそっとつけてみるが、すぐに唇を拭う家政婦。そしてサロンでは将校夫人の女性たちがユダヤ人が隠し持った宝石について話している。ホスは書斎でいかに効率的なガス室を建設するかの討議を技術者と冷徹にしている。
 ここの生活は天国だというホス夫人は、転勤になった夫についていくことを拒否してアウシュヴィッツに家族と留まる。映画の最後の方に、現在博物館となっている収容所で掃除をする人たちの実際の姿がドキュメンタリー映画のように映される。人類に対する冒涜の歴史が第二次世界大戦後80年間余り保存されて来たのだが、今となってはあっさりとした石の地面や焼却炉の単調さが余計に想像力を刺激する。
 本作は2014年に発表されたイギリスの小説家、マーテイン・エイミスの同名の作品にインスピレーションを得たものと言うが、塀の向こう側の厳粛な死の世界と対比される塀のこちら側の見事にまで無関心な人々の日常生活が淡々と続く恐怖のイメージを文章で再現することは難しい。収容所の人たちはドイツ人たちに人間として見られていなかったので、ドイツ人たちが囚人たちに関心を抱くこともなかった。それが映画の題名となっている。その心理的怖さは映像でこそ効果的に描けたのだろうと思わされた。

現在の世界の喫緊の問題

 ポーランド出身のアグネシュカ・ホランド監督の『緑の国境(Green Border)』(ポーランド、チェコ、フランス、ベルギー合作、詳細はこちら)は、現在世界が直面する難民問題をそれに関わる個々人の内面に切り込みながら展開する。我々が遥か遠くの出来事として漠然とニュースで読んだり見ている難民が直面する体験が、本作では我が事のように生なまと迫り来る。

 映画は飛行機の中の座席に座る人々を至近距離から捕える場面で始まる。女性の人権を認めないイスラム過激派のISISから逃れて来たアフタニスタン女性レイラが、英語で隣り合わせた一家の祖父と話す。全てを失ったというシリア難民家族は祖父のほか乳飲み子を抱える父バシールと母アミナ、幼い息子ヌルと娘ガリアの6人で、レイラとベラルーシへ向かう。レイラはポーランドで難民申請をするつもりだが、シリア難民の家族は親戚のいるスウエーデンへポーランド経由で向かっている。彼らの命綱は携帯電話で、親戚がアレンジした車でポーランド国境へ向かう一家の車にレイラが相乗りする。
 森の中の国境でベラルーシ側からポーランド領に追い立てられた彼らは、すぐにポーランド側の国境警備隊の手によって鉄条網の向こうのベラルーシ側へ戻される。ところがベラルーシ側は難民受け入れを拒否して、難民たちはピンポン玉のようにポーランド側とベラルーシ側を往復させられる。飛行機がベラルーシに着陸する直前に、機内で乗客に向けられた歓迎の言葉と渡された薔薇の花が虚しく思い出される。 
 次の章ではポーランドの国境警備隊の一員の視点から描かれる。彼らは指揮官によって難民はテロリストで危険な存在だと洗脳教育をされる。妻が臨月の若い警官は、その職務を従順にこなすが、この若夫婦は次第に夫の仕事に疑問を持ち始めるらしい様子である。
 第3章では、人道活動家たちが描かれる。若いポーランド人男女が国境地帯の森に食べ物や衣料品を持って赴き、医療活動をして難民申請の書類を整えるが、民間人が入ることを禁止されている国境地帯の活動なので逮捕されないように慎重に活動を進めている。
 その次に、国境近くに住む精神科医の女性ユリアが人道活動に関わっていく過程が描かれる。彼女は深夜に森の中からの助けを求める声に駆けつけ、沼にはまって動けなくなっているレイラと、鉄条網を隔てて家族と別れ別れになってしまったヌルを見つけるが、ヌルは力尽きて彼らの目の前で息を引き取る。病院に運ばれたレイラはすぐに警察にひきたてられ、ユリアは国境地帯に侵入したことで警察に逮捕される。
 中近東から、アフリカから続々と陸路を来る難民たちは、海路より安全で簡単にベラルーシからEUの一員であるポーランドに入れると聞いて集まって来ているが、国境地帯に留め置かれている。彼らには飲み物も食べ物も警備の兵隊から与えられず、冷たい地面に横たわるほかない。喉が乾いたという娘に母親のアミナは木の枝の葉に残っている雨水を集めて彼女に飲ませる。子供のために水を欲しいとベラルーシの兵隊に訴えたレイラは、ペットボトルの水が「50ユーロ」と言われて渋々払うが、納得できず札を取り返そうとして揉めて、兵隊にボトルの水を地面に流されてしまう。そのボトルを必死で手に入れたアミナは1センチにも満たないボトルに残った水を蓋に少しずつ入れて子供たちと分け合う。こうした細部の情景は、難民たちが置かれた状況を如実に映像によって表現している。
 映画の最後に2022年に勃発した戦争により祖国を離れたウクライナから200万人以上の難民を暖かく受け入れたポーランドの国境の様子が対比されるが、シリアやアフリカからの難民については有色人種に対する差別があることは確かである。
 本作では苦境の中、シリアの家族と運命を共にするレイラとの交流を通じて、彼らを一人ひとりの人間として描き、観るものの共感を呼び起こす。冷酷と思われたポーランドの女性警官がユリアを助けてくれたり、人道活動に協力拒否をする人がいれば協力を申し出る人たちもいて、ほっとさせられる場面もある。モノクロの画面は、ナチス支配下でも自らの生命を賭けてユダヤ人を助けた人たちもいた欧州の歴史を想起させ、本作の題材が歴史や地域を超えた普遍的なものであることを思い起こさせる。父親がユダヤ系のホランド監督は『僕を愛した二つの国/ヨーロッパ・ヨーロッパ』(1990年)、『ソハの地下水道』(2011年)などでホロコーストを、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019年)でスターリンの政策によるウクライナの大規模な飢餓を取り上げ、人類が体験した20世紀の悲劇を描いている。
 上記ウェブサイトにある上映後の討論で監督は、ベラルーシとポーランド国境での難民の問題が大きくなったのは2021年夏からであると説明した。2023年3月から20数日で撮影して8月末からのヴェネツイア映画祭に間に合わせというが、その結果審査員特別賞を受賞している。声が世界に届かない弱者の声を届けること、自分と違う人々を受け入れることの重要さを描きたかったと監督は述べている。その監督の情熱は、難民たちの体験を観客に届けるパワーとなっている。

Photo credits:
Mamber Pierette: courtesy of Icarus Films
The Zone of Interest: courtesy of A24
Green Border: Courtesy of Film at Lincoln Center

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