見出し画像

Gくんの里帰り

「ここに来るのは ぼくにとって『里帰り』だよ!!」
8年ぶりに東広島に『帰り』、ヤッチャル活動に参加したG君の言葉をきいて なるほどなあと思った。

G君は ヤッチャル活動の卒業生である。インドネシアから日本に来て、小6〜中2の3年間を東広島で過ごした。親は研究者で、当時、広島大学の留学生だった。

東広島市の外国人の在留資格を見ると、留学生と永住と技能実習生が、それぞれ同じくらいの割合になる。それゆえ2010年以来のヤッチャル参加者も,留学生の子どもが3分の1より多いくらいになっている。私たちのような民間グループの支援活動では、ちょっと珍しいことかもしれない。

留学生の子どもは,全体として小学校低学年であることが多い。そんな中でG君とその姉(中2〜高1が東広島)は、ちょっと異色の存在だった。上の写真は当時のヤッチャル活動である。この中にG君と姉が写っている。

姉は同世代の外国人仲間(インド、中国,フィリピンなど)との交友を深め、充実した日本生活をおくった。一方で,G君には同世代の外国人仲間がいなかった。それゆえなのか、彼は持ち前の明るい性格で、日本人の友だちとの交流を深めていった。中学校では部活にはいり、スポーツを楽しんだ(そのスポーツは、今に至るまで彼の楽しみになっている)。さらに東広島市教育文化振興事業団が主催するスピーチコンテストにも参加した。帰国直前には、中学の友だちがお別れパーティーを開いてくれた(今回は 大歓迎パーティー😲をしてくれた)。

G君は 2023年春に、東京にある大学の交換留学生となって来日した。留学生になる課程で、かなり苦労したが、それでも諦めず初志貫徹した。そんな彼に「なぜそんなに日本に来ようと思ったの?」と聞いてみた。

「中2で日本から帰ったとき、絶対に また日本に行こうと決めていた。日本のいろいろなことが,ボクには心地よかったんだ」(な〜るほど)

彼は帰国後、インドネシア語に苦労したそうだ。高校入試もあり、個人指導を含めた特訓をしたらしい。研究者の家庭なので、恵まれた環境ではあった。その後、大学では日本語や日本文化を専攻して今に至っている。

彼の日本語は聞いていて非常に心地よい。その理由は 彼の説明を聞くと、納得できるものがある。

「日本語の助詞があるでしょ。「ベランダ『で』洗濯物を干します」とか「ベランダ『に』洗濯物を干します」とか。留学生の日本語クラスで,ボクだけが正解だったんだ。それで先生が『Gくんなぜその助詞を選んだか説明してください』っていうんだけど、ボクには説明できないよ。こういうときは,この助詞しかありません。理由はないですっていうだけさ」

これは 彼の中で、小6〜中2で身につけた『自然な』日本語が,きちんと根付いているということを意味しているだろう。(当時,中学校の日本語指導の先生は,きちんと指導してくれていた。それでも、大人向けの文法や文型の指導ではなかっただろう)

さらに、彼はどちらかというと耳が良いタイプだった。聞いた日本語を再現するのがうまい。だから、すぐに日本語が上達したように感じさせる。一方、姉は慎重派で、自ら日本語を口にするようになるまで、かなり時間がかかった。

G君タイプに対して、指導者は「すごい!すぐうまくなった!」と安心しがちである。実は私は、当時、一抹の危惧を感じながら彼を見守っていた。案の定、中1くらいで、彼の日本語習得はちょっと停滞気味になった記憶がある。私は『伸び悩んでいるな』と思っていた。そこを突破できたのは、彼にあの人間関係があったからではないだろうか。彼は当時の自分を振り返って「あのころ,ボクは悪ガキだったからさ!」と言っている。悪ガキ仲間から、良い(??)日本語をたくさん浴びることができたのだろう。

今の彼の日本語を聞いて(読んで)いると、かなり理想型だなと感じられる。その要因を考えてみよう。

・小6の来日だったので、インドネシア語が一応(きちんと)身についていたこと
・持って生まれた耳の良さ 再現性の高さがある(日本語だけでなく英語もかなりのレベルである)。加えて外交的で明るい性格である。
・日本在住時に 自然な日本語にたくさん触れていた
・帰国後も、日本語に触れるように努力した
・インドネシアの大学で日本語/日本文化を専攻し,大人が勉強するやり方で日本語を勉強し(直し)た(彼は日本語指導をする時,きちんと文法用語を駆使して教えていた)
SNSで日本の友だちと連絡を取り合い、ゲームもやっている
・来日後、接客業のアルバイトをしている(おぼえる事がたくさんあり、日本語の幅が広がったと本人が言っていた)

つまり彼の日本語は こどもの頃身につけた『自然な日本語』と大学で学んだ『外国語としての日本語』がきちんと融合しているのだと思う。聞いていて非常に心地よいし、書いたものもきちんとしている。

これは、日本で育つ親の言語(母語?)ではなく日本語が強くなっているこども(の親)に、良いヒントになるのではないだろうか。こどものころに良い日本語を『ためる』ことができれば、一度中断しても、大人になってきちんと学習することで、ここまでになれる可能性がある。

そして私たち支援者が気をつけるべきことも,ここに見て取れる。自然な日本語を子どもたちに与えるとき、やはり 良い日本語 正しい日本語でありたいということだ。このように子どもの中に日本語が残っていることを考えたら、間違えっぱなしの日本語が子どもにとって良くないのは明白である。そして子どもの使う日本語にも注意を払って、良い日本語になるように自然に導きたい物である。

最後に極めつきのエピソードで締めくくろう。
彼は里帰りで、フィリピンから来たC君(16才)に日本語指導をした。C君は来日1年で、テキストを学習しながら少しずつ日本語を身につけている。

G君は、まずC君を褒めてくれた。
「すごいね。1年ですごくうまくなっているよ。日本語学校に通っていないんでしょ?ほんとがんばってるね」
さらにつづけて
「C君に教えるときは、ボクが彼の解る日本語を使わないとダメだね。教える方が相手をよく見て日本語のレベルを変えなきゃね」

そう、まさにそれが『やさしい』日本語だよね!!

「やさしい日本語」というのは、 つまりは『相手がわかる日本語』のことである(わたしは、やさしい日本語という言葉は、実はあまり好きでない)。

ヤッチャルの卒業生で 初の日本留学生Gくん!! 本当にありがとう。