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「Livin`On A Prayer」とその後のアメリカ

Bon Joviは最初に日本で人気の火がつき、世界的な成功を収めたハードロックバンドだ。メンバー達も親日的であり、今までに多くの来日公演を行っている。
QueenやCheap Trickといった日本でのヒットを契機にそのキャリアに大きな弾みがついたバンドの系譜に連なる彼らだが、本格的に本国であるアメリカでの地位を揺るがないものにしたのは3rdアルバム「Slippery When Wet(邦題はワイルド・イン・ザ・ストリート)」の大ヒットである。

このアルバムには現在も彼らのコンサートでほぼマストで演奏される代表曲が多く収録されており、バンドを代表する1枚であることに異論はない。
その、大ヒットした名盤に収録されている1曲から今回、記事のタイトルにも引用したのが「Livin` On A Prayer」である。

恐らく、曲名はピンとこなくとも聞いてみると「あ~!知ってる!」という感覚を多くの人は抱くであろう。
ヴォーカルのジョン・ボン・ジョヴィによるワイルドな美声に、ハードでポップなバンドサウンドが見事に融合した曲調は全体的にとっつきやすく、耳に馴染みやすい。バンドの持つ魅力と持ち味が、最高の形で4分9秒に収められている。

と、ここまでは良くある紋切り型のレビューをつらつらと書き連ねてきたが、今回の私の記事はいかに、Bon Joviが偉大なハードロックバンドかという事を熱弁したり、「Livin` On A Preayer」がポップでハードで最高なので毎回、ついついカラオケで歌ってしまう!という小話に本題を置くつもりはない。
「Livin` On A Prayer」の歌詞が困窮した若いアメリカ人カップルの閉塞感をこれ以上ないくらい、リアリティを持って描いていることへの興味関心。
そして、それが90年代に誕生したグランジやオルタナといった、ロックジャンルが歌詞内に秘めていた「空虚」「無常」といったフィーリングに繋がるのでは?という疑問定義が、今記事の本題である。
実は、この辺りの話はSNS上で友人たちと交わした、Bon Joviに関する話がヒントとなっている事もここで記しておきたい。今回の記事を書く際に大きなヒントを与えてくれた友人たちに感謝を。

まず、歌詞の内容であるが前述した通り、貧しい(おそらく)若いカップルの話となっている(詳しくはリンクを貼った公式チャンネルの動画に歌詞が表示されるので、それをグーグル翻訳等を駆使しながら読み進めて欲しい)
歌詞の読み取り方として、困窮した二人がその中でも明日への希望を持ち、愛を糧に精いっぱい生きていくアメリカのとある1ページ・・・という見方も出来なくはないのだが、それにしてはその苦しい身の上の描写がしっかりしている。
職を失い、沈んでしまっている男と、ウェイターという薄給のジョブでそんな彼を支える女。2人の物語は「愛」という存在のみによって支えられ、「祈って生きるしかない(Livin` On A Prayer)」という袋小路の結論に追い込まれていく…。
同時代のHR/HMバンドたちがゴージャスで享楽的か、もしくは非常にロマンティックで耽溺するようなラブソングを続々とヒットチャートに送り込んでいた時に「祈るしかない」という結論をサビでシャウトする彼らは良く考えれば異質な感じもする。

みんなが盛り上がって、消費して、ハッピーな雰囲気をなんとなくシェアしていた80年代のレーガン政権時代。そんな時代にBon Joviはデビューした。東側諸国では自由化・民主化を求める運動が盛り上がり、動揺しているのに対して、西側諸国は中曽根・レーガン・サッチャーという盤石な政権基盤を持つ保守政党の首脳達が友好と結束を固めていた。
当時、生きていた人々には恐らく実感はわかなかったであろうが、冷戦下に於いて、西側の勝利はなんとなく決まり始めた予感があった。これは、後世の神の視点となるので勿論、フェアな言論ではない。
しかし、「予感」に無意識に浮かれていたからこそ、80年代のポップカルチャーの明るさは生まれたのではないだろうか?
不安と希望が同居した60年代、閉塞感と転向の70年代を越えた先にあったのは「予感」の80年代であり、それを前に人々は実現することを「祈り」明るく生きていくのがベストの結論だったのだ。

しかし、「予感」が実現した90年代初頭にアメリカの若者たちは西側の勝利に歓喜し、祝祭を挙げたわけでも、過去の理想を再び掲げてレジスタンスを継続したわけでもなかった。
ただ、ダークでネガティブなフィーリングをまるで、私小説のように歌詞に反映した、どこか懐古的な味わいのあるハードロックにその心情を寄せていた。グランジ・ロック、オルタナティブ・ロックの誕生である。

サウンド面から80年代ハードロックサウンドのBon Joviと、NirvanaやPearl Jamといった90年代のグランジ勢を全く同類として語るのはいささか無理があるが(影響元バンドの共通点はあるにせよ)しかし、歌詞については、ミッシングリンクとして「Livin` On A Prayer」を提示することは可能かもしれない・・・と、考え上記のような当時の社会情勢も文章中に挟ませてもらい、流れを自分なりに描いてきた。
そして、いささか強引な論法にはなったが彼らの大ヒット曲である「Livin` On A Prayer」に80年代と90年代を繋ぐ引力を私なりに見出した。

それは「予感」に浮かれる享楽的な人々と「勝利」に無関心な虚無的若者へと世代を繋いだのはただ、「祈り」と「愛」を信じている素朴な…しかし、悲劇的な現状を生きるアメリカ人カップルを描いた曲だったという事だ。
彼らは「予感」に流されなかった、浮かれなかった。大ヒットアルバムの大ヒット曲に彼らはこれ以上ないくらい真正面から(白人社会というエクスキューズはつくが)当時のアメリカのリアリティを描き出した。
これはもっと、文学的な視座で評価されて良いのではないだろうか?勇気や感動を貰える歌詞なのは間違いない。ただ、そこで終わらせるにはあまりにも深い意味を私は「Livin' On A Prayer」に感じてしまうのである。

エピキュリアンからペシミストへとロックミュージックの主流意識が流れていく途中で、彼らはこの曲を発表した。「祈り」と「愛」を忘れたのは80年代のHR/HMバンドだけでなく、90年代のグランジバンドも同じかもしれない。そこにあるのはただ楽しむか、とりあえず失望するかの違いでしかないからだ。

アメリカの勝利の時代であった90年代が終わり、00年代を迎えた年にBon Joviは「It's My Life」を発表した。

「俺の人生」そう銘打たれた曲名の歌詞中には、人生や生きることを肯定する歌詞が並ぶ、前向きな曲だ。

Bon Joviが「Livin` On A Prayer」発表以後の90年代にPearl Jamは「Alive」の歌詞中でただ、生きていることの虚無感を滲ませた。
Beckは「Loser」の中で自虐的に人生を自嘲してみせることでヒットを飛ばした。そこにあったのはどのように生きるかという目的の喪失と「人生」の過剰な意義付けに疲れた人々のため息だった。

しかし、彼らは勝利後の厭世観や、世紀末の雰囲気を越えた先で、自分たちの「人生」を見つめろ!と曲中で鼓舞するかのように歌った。
「祈り」「愛」といった普遍的なワードを散りばめた(しかし、奥深い)曲で一躍世界的スターダムに駆け上がったBon Joviは「人生」を「生きる」ことを今度は人々に問うたのだ。
時代がどのような様相を示したとしても、彼らは決して流されなかった。シンプルな「真理」で我々が心の奥底では本当に望んでいた言葉を掛けてくれたのだ。

「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉があるが、世に流されず、歌をただ、力強い「真理」と共に誠実に届けるミュージシャンがいても良い。それが私にとってはBon Joviなのだ。

ちなみにだが「It`s My Life」の歌詞中には「Livin` On A Prayer」で描かれたあの、二人も肯定的な意味合いで言及される。
「祈り」「愛」を忘れなければ、人生は私たちものとなる。何とも美しい伏線回収ではないか。

ジョルノ・ジャズ・卓也

参考文献
山本 健『ヨーロッパ冷戦史』(筑摩書房 2021)

友人でありライターの草野虹氏と「虹卓放談」というPodcastをやっています。よろしければこちらも視聴していただければ幸いです。


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