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花火大会は苦手です

今年はいろんなところで花火大会も中止になって、残念。みたいな雰囲気もありますが・・・

私はちょっとホッとしている。
昔の話になりますが、

私の実家は海岸のすぐそばなので、花火大会のある日は父の会社の人たちが来たり、親せきが集まったり、それは特別な日でした。

花火大会の会場に行っても近所の知っている家族がいっぱい。それぞれにその家庭の親せきやお客さんを連れてきていて、普段は知らない関係性をのぞき見したりされたりしているようで、子ども心にわくわくドキドキする日でした。

花火の音が大きくて怖くて耳をふさぎながら見ていたなぁ、とは思うけれどそれでもその日は楽しみでした。

まだまだのんびりした風情が残っていたのでしょう。

花火と花火との間の時間が長くて、

「田舎の花火だからね~、次々には上がらないんだよな。」

とか

「たーまやー!」「まーだかー!」

とか言いながら、その間延びした空間を楽しんでいました。

ところが、だんだんとその風情は変化してきていました。遠くから会場に足を運んでくる人も増えて、海岸がごった返すようになってきたし、

それに合わせて海の家の商売っけもすごくなってきて、砂浜にシートを拡げようとしたら、「そこに座るには1000円かかります。」なんて言われるようになりました。

ついには、私の記憶では1000発くらいの打ち上げだったのが、7000発とかいう日が来て(地元の大企業が提供するようになったみたいです)、最後一気に5000発のスターマインとか。

もちろん周りの人たちは、すごい、すごいと大興奮でしたよ。

「すっげ~!こんなの見たことなかったよ。」とか。

「花火でこんなに興奮するの初めてだよ。」とか。

・・・・・・・・なのに私の心はふさぎました。ものすごい爆音に恐怖しかなかったし、これでもかこれでもか、という派手でしかない花火に風情や情緒を感じ取れなかった。何か大事なものを奪われてしまったような、怒りみたいなものさえありました。

翌日。

花火の打ち上げに伴ったゴミが町中に散らばっていました。

そこで私が感じたのは怒りじゃなくって、悲しみだと分かりました。

大事な街を汚してまで、興奮する花火大会が大切なのか?

あったかく懐かしい思い出を、同じ花火で壊されてしまうのか?

実家の両親には「もう派手になりすぎちゃったから、来年からは花火大会には来ないことにしたよ。」とだけ言って、翌年からはその日に帰らないことにしました。

それから10年以上たった今、もともと自分はいろんな刺激に弱い性質だったんだと分かってきました。テーマパークやショッピングモールとは縁遠い生活をしています。友だちと行くキャンプでさえ、「キャンプには花火でしょう↑↑」とかいうノリに違和感を覚えてしまいます。

でも、

そういうことに劣等感を持つことはないんだなー、と思えるようになったことで、自分の“スキ”なこともどんどん増えたし、はっきりしてきたようです。

この夏はいろんな刺激から離れて静かな毎日を送ることができていて、時には退屈だけれど幸せかもしれない。

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