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黄色い線の向こう側

今日も朝から列車が来ない。
3つほど向こうの駅で「列車がお客様と接触」したのだそうだ。

相次ぐ列車への「飛び込み死」。
正確な数字は知らないが、週に1度は起きているようにも感じる。

ひとたび人身事故が発生したら、運休や遅延でグッタリする。
朝夕の通勤時間に遭遇したら尚更だ。
来ない列車に溜まり続ける乗客たち。
ホーム上には焦りと疲れと、“加害者”への憎悪が積もっていく。

列車は多くの人生を乗せている。
会社や学校に向かう人、就職や入学、試験など人生の岐路に立つ人、心待ちにした家族旅行、大切な人の元に急ぐ人もいるかもしれない。
列車を止めるということは、そんな何十、何百万人もの人生に取り返しのつかない影響を与えることもある。

***

私は旅立つあなたを責めるつもりはない。
よほど辛いことがあったのだろう。よほど苦しいことがあったのだろう。
その悲しみを到底推し図ることはできないが、線路で最期を迎えることは止めて欲しいとただ願う。

「死ぬ勇気があるならば、生きることができるだろう」と人は言う。
でも、それは違うと私は思う。
死ぬことでしか希望を見い出せないことも人にはある。

昔の私がそうだった。
終電で帰れたら早い方。月の残業が100時間をゆうに超え、睡眠時間は3、4時間。
そんな暮らしが半年以上続いたとき、「死」という未来がチラついた。
そしてある日の帰宅途中、ホームに滑り込んできた終電車に、一歩足が近づいた。黄色い線を越えていた。そこには覚悟も勇気も必要なかった。明確な意思すらなかった。ただ、抜け殻が引力に従って吸い込まれていく。そんな感覚だけだった。

列車の眩しいヘッドライトにハッとして、二歩目を踏み出すことは結局なかった。
でも、その一歩の差はあまりに小さい。

***

みんなが同じとは限らない。人にはそれぞれ事情がある。
でも、強者が幅をきかせる今の世に、人の弱さを知るあなたこそ、何とか生きていてはくれまいか。
そんなあなたが、幾万もの無関係な人々を巻き込んで、憎悪にまみれた最期を迎えてほしくない。ただそう願う。

***

私は今でもホームに立てば、生と死の境目に思いがめぐることがある。
黄色い線の向こうとこちら。たった一歩の差でしかない。
そんな僅差の中で人は生きている。
今日のあなたは、明日のわたし。
他人事ではいられない。
寛容さが失われていく今の世に、あなたは必要だ。


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